
■メイン写真
樹木が切り払われ、絶景ポイントと化した八幡山の山頂
■今回のコース
御坊駅→宮山(齋神社)→亀山(亀山城跡)→愛徳山王子跡→八幡山(吉田城跡)→吉田八幡神社→
道成寺→道成寺駅
御坊駅から歩いていける山、ということで、今回白羽の矢を立てたのは、戦国時代の
山城があった亀山と、その東にある南北朝時代の山城跡である八幡山。
下山後、「和歌山県最古の寺」と呼ばれる道成寺にも寄れることから、
これらをつないで歩いてみた。
舗装道を歩く区間が多く、登山靴よりもむしろスニーカーなどのほうが向いている
行程だが、展望や、それぞれの歴史を楽しんできた。

御坊駅の改札は南側しかないので、踏切を渡り北側の農道に出る。
このあたり、津波対策で高台への緊急避難経路を示す標識が充実していて、
それが皮肉にもルートファインディングにも役立つ。

本来、もっと奥から回り込もうと思っていたが、宮山(齋神社)から行けば
近いことが判明。
境内には、この神社の由来(紆余曲折)の説明板もある。

このあたりの石垣は、比較的小さな石を丁寧に積んである。

サクラ並木の簡易舗装道に出ると、ほどなく亀山の山頂に到着。
戦国時代まで湯川氏が12代にわたり治めたが、羽柴秀吉に攻められ落城。
そのあと、徳川家康に味方し、大坂の豊臣氏を脅かしたという。
平らになった山頂の周囲には、土塁が巡らされていて、いかにも山城らしい。
城の縄張り図が掲げられた休憩所と、簡易トイレもあり、サクラの開花に備えて
提灯も張り巡らされていた。里の人々の愛情を感じた。

城跡の隅からは、御坊の町と海が眺められる。

ひとまず、鳳生寺をめざして下りていく。

里に出ると、ブロッコリーが収穫されずに満開を迎えていた。
これはこれで、なかなか綺麗なものだ。

宮子姫の壁画。
第42代・文武天皇の妃で、第45代・聖武天皇の生母。ここ御坊市が生誕の地だ。
この宮子には伝説がある。
子宝に恵まれない海女の夫婦が八幡宮に祈願したところ、女の子を授かった。
しかし、娘(宮)は成長しても、髪の毛が生えてこなかった。
そんなある日、母親が海の底から、黄金色の小さな小さな観音像を拾い上げた。
観音様をお祀りし、毎日お祈りしていたら、娘宮の髪が生えはじめました。
美しい黒髪はどんどん伸び、宮は里人たら「髪長姫」と呼ばれるようになった。
ある日、宮が髪をすいていると、ツバメがその髪を一本くわえ、飛び去った。
ツバメが巣を作ったのは、奈良の権力者・藤原不比等の屋敷の軒。
巣から垂れ下がる長い黒髪を見つけた不比等は、髪の主を探しだし、宮を養女とした。
そして宮(宮子と改名)は、文武天皇に見そめられたのだ。
宮子は髪を授けてくれた観音様をお祀りしたいと文武天皇に願い、紀道成が
造ったのが道成寺だという。

我々が歩く里道は熊野古道紀伊路に合流し、愛徳山王子跡へ。

密なマダケの森を抜けていく。

はす公園のハス向かいが、八幡山の登山口だ。
最近、かなりしっかりした舗装林道がつけられ、上の方にはまだ重機が置いてあった。

ほどなく八幡山の山頂に着く。
こちらは南北朝時代、北朝側と戦った地元豪族の吉田氏の城があった。

山頂は刈り払われ、真新しい芝生シートが敷かれていた。絶景である。

中腹には吉田八幡神社がある。

境内を出て300mほど東に進むと、道成寺がある。

三重塔。もうサクラが咲いている。

道成寺は、大宝元年(701年)、文武天皇の勅願寺として創建。和歌山県最古のお寺。
先述した「宮子姫伝記(髪長姫伝説)」よりも有名なのは、安珍・清姫の悲恋物語の
舞台となった寺であること。大ヒット映画「国宝」にも出てきた「道成寺物」は、
能、歌舞伎、浄瑠璃などの演目として知られる。
また、絵巻を使った「絵とき」で説法が行われるのが独特である。

舞台を踏んだ役者さんたちが写真を奉納している。

境内にある立派な槙柏(しんぱく)は、樹齢500年という。

奥之院にも足を向ける。手前にあるのは役行者を祀る般若窟。
道成寺は、変遷はあったが、現在は天台宗の寺。

奥之院の建屋は比較的新しいようだった。

道成寺駅へ向かう参道には、土産物屋などが建ち並び、観光バスが何台か来ていた。
さすがメジャーな寺は違うなあ。
電車は1時間に1本。時間調整を兼ねて、名物の「釣鐘まんじゅう」と、コーヒーの
セットでひと息ついた。