Mr.Dashのぶろぐ館(新館)

関西の山々や日本アルプスが大好き。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅡ)、山岳ライターでもあるMr.Dashのブログです。Gooブログのサービス停止(2025/11)により、引っ越してきました!

2026年3月8日(日) [播磨]小野アルプス、「日本一低いご当地アルプス」12座を完全縦走!!

■メイン写真
小野アルプスの象徴、紅山の岩稜

■今回のコース
福甸峠→南野山→宮山→岩山→西紅山(夫婦岩)→紅山→岩倉峠→惣山(小野富士)→
アンテナ山→総山→アザメ峠→安場山→愛宕山→前山→日光峠→高山→白雲谷温泉ゆぴか


M社の登山ツアーで、兵庫県小野市のご当地アルプス、小野アルプスを訪れた。
1日で12座を踏める、最高峰の惣山でも標高198mというミニアルプスだ。
主峰のひとつ、紅山は、スリリングな一枚岩の岩尾根が地衣類のダイダイゴケで
染まる独特の光景で知られる。

福甸峠からスタートする。いきなりの急登。

とはいえ、ものの数分で最初のピーク、南野山に到着する。

さらに数分で宮山。ちょっとした凸地形があれば、名前がついているという印象。

岩山への登りは、新しいトラロープが張られていた。

その名のとおり、岩盤が露出した岩山の直下からは、足元の山陽道、権現湖をはじめ、
南側の展望が広がる。

岩山のピークそのものは地味なところ。

標高差で60mほど下り、再び上り返す。この日のルートは、こんなアップダウンが
何度も現れる。

西紅山のピークは、注連縄がついた夫婦岩が鎮座する。
小野市が当初、設定した「小野アルプス」には、「西紅山」はなかったが、その後、
命名された。そう、山はいつの間にか増えるのである。

紅山の岩稜の斜面が見えてきた。
お客様からは「え?あれを下るの!?」とビビる声。
確かに、見かけは強烈である。

紅山の山頂に到着。1時間15分ほどで、4つ目のピークだ(笑)。
大勢のハイカーの姿がある。だいたいの人は、岩倉登山口から最短コースで
来られているようだ。

露岩の尾根を覗き込む。なかなかの迫力だ。
淡路島や明石海峡大橋も、少し霞んでいたが見えた。

三点確保や、足の置き方、体重移動などを実演レクチャーしたあと、
とにかく慎重に、ゆっくりゆっくり下りた。

紅山の山肌が赤く見える原因、地衣類のダイダイゴケのアップ写真。

この群落が繁茂して、独特の光景を作り出す。

岩倉峠へ下ると、新しい休憩ベンチができていた。時間もちょうどいいので、
ここでランチタイムとした。

岩倉峠を経て登り返すと、小野アルプス最高峰の惣山(199m)だ。
別名・小野富士。最高峰でも200mを切っている。

惣山の頂も、絶景を楽しめる。

アンテナ山。いきなりカタカナの山名だ。

というのは、10mほどのところに、古いアンテナが立っているから。
UHFのアンテナなので、おそらくもう使われていない。

次の総山は、山容が美しい。

総山の山頂を順調に通過。

アザメ峠には、アザメ地藏の祠があり、簡易トイレブースが2つ設置されていた。
トイレは清潔で、ペーパーもちゃんと備わっていて、地元関係者の愛を感じた。

割に急な道を登り返す。
ミニアルプスとはいえ、12もピークがあれば、累計標高差は約1,000mにもなり、
徐々に体力が奪われてくる。
無名ピークをひとつ越え、木製階段がつけられた急坂を下る。
「奇跡のケヤキ」、あさぎり山道分岐を過ぎると、安場山だ。
登山道をわずかに外れて、三角点がある。

次の愛宕山は、厳密にいうと最高点ではないところに山名表示板がついている。

ほどなく、NTT中継所が建つ前山に到着。

前山にはサクラが植えられていて、4月はミツバツツジとともに美しいことだろう。

日光峠で、鍬渓温泉に直接下る道を分け、尾根道を直進する。
行程の最終盤になっても、微妙な上り坂が出てくるので、お客様もつらそう。

到着した最後のピーク、高山は、古墳があったようだが荒らされていて原型が
よくわからない。

休憩所も木材が朽ちていて、下に入らないように注意するテープが張られていた。
ここでラストの展望を楽しんだ。

ほどなく、ゴールの白雲谷温泉ゆぴかに到着。
駐車場はほぼ満車という人気ぶり。希望者には最後に温泉を楽しんでいただいた。

 

2026年3月7日(土) [丹波]石龕寺から金屋鉱山跡、石戸山へ!!

■メイン写真
ろう石を産出していた金屋鉱山の現在の様子

■今回のコース
石龕寺→奥之院→頭光嶽→金屋鉱山跡→岩屋城跡堀切跡→石戸山→岩屋城跡堀切跡→
分岐→重ね岩→分岐→石龕寺⇒道の駅 北はりまエコミュージアム


丹波市山南町に、聖徳太子ゆかりの古刹があり、中世には山城と化し、大正時代から
昭和50年までは「ろう石」の鉱山があったという、魅惑の山がある。
ずっと行ってみたかったこの個性的な歴史を持つ山を歩いてきた。

石龕寺(せきがんじ)の山門手前にクルマを停め、まずは重要文化財の仁王像が
格納されている仁王門へ。
ボタンを押すと、解説の音声が流れる。
織田信長の丹波攻めで、寺が焼き討ちされる中、この仁王門だけが焼け残った。

参道はコケが美しい。ふと見ると、タマゴケがもう胞子体の丸い蒴(さく)を
出していた。春やなぁ。

タマゴケの横にはセリバオウレン。

寺務所の前には、これはたぶん植えたもののようだが、フクジュソウが!

石龕寺は、足利尊氏が弟の直義と争った観応の擾乱で逃げ延び寺。
嫡子の義詮(室町2代将軍)を2,000騎とともに50日余り、ここに留めたという。



本堂前には、コウヨウザン(広葉杉)の大木がそびえる。中国原産のヒノキ科の樹。
中国中南部の植林としては、最もポピュラーだそうだ。

コウヨウザンの葉が石段にたくさん落ちていた。

大柄で、あまりなじみがない形だ。

本堂の右横から、奥之院へ向かう参道をとる。

参道ではあるが、じきに急坂の、普通の"登山道"のようになる。
序盤には古い石垣があり、石龕寺の僧房の跡なのかもしれないし、石龕寺を含めた、
南北朝時代の岩屋城(石龕寺城)の一部なのかもしれないし、織田信長の丹波攻めに
関係するものかもしれない。

アセビが満開。

標高280mあたりで、一瞬、南側の展望がちょろっと開ける。

もはや参道とは思えない険しい道のり。

奥之院の鐘楼に到着。一定のルールが記されているが、自由に撞くことができる。

鐘楼からは、すばらしい展望が広がる。

奥之院は、断崖絶壁の岩屋に組み込まれている。

その奥は、足利義詮が一時的に滞在した屋敷があったとされる平地がある。

急登を経てたどりつく頭光嶽の山頂は、送電線鉄塔が通る。
頭光(ずこう)とは、仏像などの頭の後ろにある光背のこと。

ようやくなだらかになった稜線に乗り、枝ぶりが奇妙なカシの樹をみる。

再び少し登ると、索道の跡らしき"廃墟"が現れる。
金屋鉱山跡のエリアに入ったのだ。錆びたワイヤーとプレハブの廃屋が印象的だ。

谷底に下ると、そこには露天掘りでV字型に削られた地形と、古いブルドーザが
視界に飛び込んでくる。

荒涼たる世界、むき出しの岩盤は数十メートルはあるように見える。
実際に地形図を見ると、70mほどの高さがあるようだ。

もともとは岩屋城跡があったようだが、すべて「ろう石」鉱山として削られた
ようだ。
かつて子供たちが道路に絵を描くときに使った「ろう石」、石英や長石できた火山岩が
酸性の熱水で変性した岩とされ、レンガ、タイル、陶磁器などの原料として
使われた。

金屋鉱山跡は、海外産のろう石に押された昭和50年に閉山した。

残されたトラックやブルドーザが、当時の様子を物語っている。

急坂を巻き上がる。ツバキの落ち葉で足を取られる。
固定ロープがありがたい。

登りきると、そこには岩屋城の堀切跡があった。

尾根を少し北へ。北風が容赦なく吹きつけ、なんと、みぞれと雪が降ってきた。
しばらくは周りが真っ白になる中、石戸山に到着。
あわよくばこの先の高見城山まで行きたかったが、あまりに寒いのと、少し時間も
押しており、ここで引き返すことにした。

岩屋城の堀切跡に戻り、尾根を南へたどると、岩屋山の山頂に着く。
鉱山に切り取られ、どうやら昔の山頂ではないようだが、小さな石の祠が安置
されている。残念ながら展望はなく、すぐ横は削られた断崖絶壁だ。

進路を西に転じると、ほどなく三叉路となり、まずは右の尾根道を下る。
300mほどで、奇岩の「重ね岩」に着く。
岩の上から展望を楽しむ。

岩羽の下側に回り込むと、果たして、微妙なバランスを保ち重なる岩の様子が
よくわかった。これを最初に見ていたら、岩の上に上がるのが怖くなっただろう。

先ほどの三叉路に戻り、石龕寺への下山路に入る。
予想外の急坂で、ときに鎖場が現れる。

関電巡視路用の、黒い樹脂製の階段を下り、鉄塔下へ。
急坂はさらに続き、石龕寺へ下った。短い距離ながら、変化に富む行程だった。

帰りに道の駅 北はりまエコミュージアムへ。
1200円もするご当地ハンバーガーには手が出なかったが、栗ようかんと
熱いコーヒーで小腹を満たし、大満足。

2026年3月4日(水) 知る人ぞ知る六甲アルプスと、アイスロードを歩く!!

■メイン写真
六甲アルプスの岩稜

■今回のコース
神鉄六甲駅→シュラインロード取付→古寺山→本堂跡→林道出合→37番カーブ→
(六甲アルプス)→シュラインロード出合→稲荷神社→(アイスロード)→ロープウェイ駅跡→
六甲ケーブル下駅


昨年度、企画していたものの、2回連続で雨で中止になった「六甲アルプス」。
とうとう今回実現できた(嬉しい!)。
それでもコンディションはあまりよくない。昨日、雨が降って路面は濡れ、
天気予報は曇り、最高気温は10度で風はやや強い。寒い位置に地図予想できた。

神鉄六甲駅から住宅街を抜け、唐櫃東ICのすぐ南、クルマがビュンビュン行き交う
県道95号を、なんとか隙をみつけて渡る。
かつてはアンダーパスで道路をくぐれたのだが、現在はなぜか通行止めとなっている。
却って危ないと思うのだが。

古寺山へ続く登山道に入る。

すぐに尾根道と谷道に分かれるが、今回は急峻な谷道から。少し荒れていた。
厚い雲が垂れ込め、寒い風が吹いている。

稜線に出て、尾根道と合流すると、傾斜は少し緩む。

古寺山の山頂に到着。登山口から40分ほどで、本日唯一のピークに到着してしまった。
大きな修行岩が鎮座する。
古寺山は、かつて六甲修験の多聞寺があったところで、この岩も山伏たちが修行を
していたのだろう。

修行岩のすぐ手前には、清盛の涼み岩がある。
確かに、腰を掛けて休憩するのにちょうどよさそう。

山頂から西に20mほど下りると、展望ポイントがある。
岩の上から、大池や花山あたりの住宅街が眼下に望める。

山頂のすぐ南は平坦地になっていて、旧多聞寺の本堂跡とされる。
平清盛が福原に遷都したとき、多聞寺はその鬼門に位置することから栄えたが、
その後、源氏軍によって焼き払われた。多聞寺が現在の場所に再建されのは、
室町時代になってからだ。

ヤダケが密生する。矢の原材料。
古い山城跡などには、戦に備えてヤダケを植えていた例が多いが、多聞寺に僧兵が
いたのか? そうだとしても、1000年を経て群落が残るのはすごい。

やがて背の低いササが生い茂る道になり、裏六甲道路から派生する作業林道に下りてくる。
車止めゲートがあるはずなのに、向こうからクルマがやってきて驚いたが、
神戸市建設局の関係車両だった。

裏六甲道路を少し西に歩き、37番カーブのところで踏み跡に入る。
いよいよ今回のメイン、六甲アルプスに向かう。

尾根に取り付くまでは強烈な急登だ。時折、赤テープがみられるが、真横に垂直の岩盤が
見えたりする微妙な地形で、そもそもルートを選択できる余地はない。

やっとこさ狭い岩尾根に出るが、冷たい北風が吹きつけてくる。
この日は時折、みぞれ混じりの小雨がふってきたり、わずかに晴れ間がみえたり、
コロコロと天気が変わった。

岩稜の上に出ると、展望が楽しめる箇所がいくつかある。
しかし、そんな岩稜の中には、向こうが崖になっていて進めないものもあり、
右へ巻いたり、左へ巻いたりしながら進んでいくことになる。
このあたり、六甲アルプスのルートファインディングが難しいといわれる所以だ。

岩を乗り越えていくところも。フィールドアスレチックのようで楽しい。

アセビがもう咲いていた。

岩場は前半で姿を消し、後半はササが茂る道を進む。
やがて別荘地の横に出て、シュラインロードと合流する。
ドライブウェイに出るところに、稲荷神社がある。きれいになったなぁ。

道を渡ったところが、アイスロードの入口である。
この周辺には溜池がたくさんあり、かつてはこれらの池で氷室として冬場に氷が造られた。
夜のうちに大八車にのせて神戸側に氷を運んだ道が、アイスロードである。
明治のはじめ頃には、大小30の池で製氷が行われ、電気冷蔵庫が普及するまでは
重宝されたという。

アイスロードに入るとすぐ、神戸の街が見下ろせる。

下山は、簡単な渡渉もあるが、おおむね歩きやすい。
ただ、現在のルートは、とても大八車が通れるとは思えない傾斜もある。
明治の中盤ごろは、もっと蛇行したルートが西側にあったが、その後廃れたようだ。

かなり下りてきたころ、登山道脇にコンクリートの脚のような残骸が出現。
これは、戦前まであった六甲登山架空索道(ロープウェイ)の鉄塔跡である。

トンネルをくぐる。上は六甲有料道路。

六甲登山架空索道の駅跡に寄ってみた。
コンクリートの脚がかなり弱っているが、戦争による金属資材の提供により
廃止されて80年、わりにシッカリ保っている。

六甲有料道路を渡ると、ヒツジさんがお出迎え。
あとは弁天滝を眺めながら車道を歩き、六甲ケーブル下駅へ。
ナイスタイミングでバスがやってきた。

最後まで寒い中、歩いてきたので六甲道駅からの暖かい電車内で急に眠気が
襲ってきた。

2026年3月1日(日) [六甲]君影ロックガーデン、妙号岩、菊水ルンゼで岩場ざんまい!!

■メイン写真
菊水ルンゼを抜け、"ご褒美"の展望岩に到着!

■今回のコース
鈴蘭台駅→どんぐりの森取付点→君影ロックガーデン→(イヤガ谷東尾根)→妙号岩の頭→
妙号岩→菊水ルンゼ取付→(菊水ルンゼ)→展望岩→菊水山→菊水山公園→鈴蘭台駅


鈴蘭台の南にある、コンパクトな岩場群である君影ロックガーデン、妙号岩、菊水ルンゼを
セットで歩いてきた。
適度なスリルが楽しめ、例えば穂高連峰の縦走などの練習に最適な、お気に入りのルートだ。

鈴蘭台駅から神戸電鉄の線路沿いの道を南下。鳥原川に沿って、石井ダムへの管理道へ。
途中に、トラバース練習にうってつけの擁壁がある。
足裏全体が載らないような小さなスタンスに、確実に爪先で立ちこみ、かつ、3点確保を
しっかり練習するのに最適だ。

どんぐりの森へ続く橋を渡り、君影ロックガーデンへの取付きへ。
道標のたぐいは一切なく、目立たないテープのみが手がかり。それがいい。

いきなり、風化花崗岩の急登となる。
ちょうどいい"準備体操"の岩場が出てくる。

ほどなく露岩が見えてくる。これが君影ロックガーデンだ。

ここだけ岩盤が露出して、絶景スポットになっていて、北に鈴蘭台の住宅街が見える。

鳥原川を隔てた東側は、中央に菊水ルンゼの険しい谷間が見え、菊水山の電波塔も見える。
おー、あそこを登るのかと、少し緊張する。

イヤガ谷東尾根の登山道に合流して、植林のなだらかな尾根を南へ。
略地図看板が立つ分岐で横道に入る。

目の前が突然大きく開ける。妙号岩の頭に着いた。

石井ダムの向こうに、神戸の街と海、神戸空港などが見える。

さっきより近くに見える菊水山。

妙号岩は、ロッククライミングのゲレンデが複数あって、人気がある。
その下山用ルートを下る。

まさにゲレンデの真横を通る。終了点のテラスを覗き込む。

三点確保で、まずは下方のホールドをしっかり掴んでから、スタンスを確認し、
ゆっくりでいいので、慎重に下る。
爪先で立ちこむ練習がさっそく活きてくる。

妙号岩は大きく分けて「前の壁」、「中の壁」、「奥の壁」の3つのフェースがある。
最初に出てきた「奥の壁」にはお兄さん二人が登攀の準備中。
写真の「中の壁」では、複数人のパーティが楽しそうに登攀中だった。

そのパーティのどなたかが、ワンちゃんを連れてこられていて、とびっきりの
笑顔で迎えてくれた。

「前の壁」には、妙号岩の名の由来でもある、「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれている。

江戸時代末期(文久年間)に小部の極楽寺の修誉締善和尚が彫ったという。
看板はもう古くなって、「150年前」と書かれているが、もう160年以上昔の話。

石井ダムへの管理道に戻ってきた。ちょうどお昼時。
排水路に足を下ろすと、快適なロングシートとテーブルになる(笑)。
ここが菊水ルンゼへの登山口である。

しばらく雑木林の中をトラバースし、岩がごろごろした菊水ルンゼの入口へ。
ルンゼに入ると、いきなり険しい岩場が登場する。

息つく暇もなく、岩場が現れる。
ホールド、スタンスは豊富で、大きく、シッカリしているので、そこは安心。
とにかく滑り落ちないように、丁寧に登る。

核心部は、決して難しくはないものの、高さがあるので、落ちたらただでは済まない。
ここは念のためローブで補助する。
菊水ルンゼは、いざというときのセルフレスキューも考え、ロープワークができない人は
立ち入らないようにしよう。

明るく開けていたルンゼが細くなり、行く先が急に薮っぽくなるところで、
左のU字型の涸れ谷を登る。深く積もった落ち葉で登山靴が完全に埋もれるほど。

尾根に出て左の岩上に出ると、そこは絶景の展望岩。ここまでがんばった"ご褒美"だ。
絶壁から、午前中に歩いた君影ロックガーデンや妙号岩が見える。

小枝が邪魔な薮道の急坂をたどり、菊水山の山頂に向かう。
最後は電波塔の真横のフェンス沿いの踏み跡に出る。

たくさんのハイカーが行き交う菊水山の山頂に突然出てくる。
ヘルメット姿のパーティに、驚きの表情のハイカーを横目に、ゆっくり休憩する。

あとは菊水山公園の整備された遊歩道をたどり、鈴蘭台駅へ。

もう少しで駅というところに、パン屋さんができていた。
調べてみたら、今年1月18日にオープンしたばかりの『HIGASA PAN』さん。
もう夕方なので、ほぼ売り切れ状態だったが、「いちじくとくるみのカンパーニュ」を
購入、じつに美味かった。

 

2026年2月28日(土) [丹波]金山、光秀の山城跡と「鬼の架け橋」、そして春の野草!!!

■メイン写真
金山の山頂部にある、丹波の鬼が架けた「鬼の架け橋」

■今回のコース
金山登山者用駐車場→鐘ヶ坂明治トンネル→西瓶割峠→鐘ヶ坂峠→金山→鬼の架け橋→
園林寺跡→NHKアンテナの分岐→追入神社→金山登山者用駐車場


今年もM社のツアーで、丹波の山城跡・金山城址と、奇岩・鬼の架け橋、
そして追入のスプリング・エフェメラルを観察してきた。
尾根筋は強い北風で寒く、途中で小雨もパラつく、あいにくの天気だった。

金山登山者用駐車場は、既に先客のクルマが4、5台あった。
この山も人気が出てきているのだろうか。

まずは少し寄り道。鐘ヶ坂明治トンネルを観に行く。
これは、レンガ積み構造のトンネルとしては日本最古のものだ。
鐘ヶ坂峠には、これを含め3本のトンネルがあり、明治、昭和のトンネルは
現在は立入禁止となっている。
明治トンネルに関する説明板が立っているのが昭和トンネルの手前なので、
間違える人もいると思う。

獣除けゲートを開けて、「テンプルコース」に入る。ここから山道だ。
瓶割峠(かめわりとうげ)へ続く、スギやヒノキの混成植林の道は、かつて立杭焼の瓶や壺を
背負った商人が歩いた道。途中で転んだりして、よく割れてしまったことにから、峠の名が
ついたという。

東西の瓶割峠への分岐。東瓶割峠は、太平洋戦争のころの軍道だ。
ここでしばらく解説していたら、お客様が、当方の背後でネズミがチョロチョロ姿を
みせていると教えてくださった。
みると、アカネズミの巣が杉の木の根元にあるようで、我々が気になるようで
落ち着かない様子で巣を出たり、また入ったり。しばらく楽しい観察会となった。

すぐに西瓶割峠に到着。
新しい標識が増えていた。
峠からは、分水界の径を少しの急登する。数分で、譲葉山への道を分け、ここで
分水界の径とはお別れだ。

鐘ヶ坂峠を過ぎると、巻き道と尾根道に分かれる。
この日は尾根道をとったが、426m三角点は残念ながら絶景はおあずけ。

金山への最後の登りは、やや急になっていて、小雨で落ち葉が濡れて滑りやすかった。

ひとつ曲輪を横目に見て、若いソヨゴやアセビが茂り始めた平坦地を抜けると、
かつて光秀の砦があった金山城址に到着。
信長に命ぜられた丹波攻めの折、敵方・波多野氏の八上城と、赤井氏の黒井城との
連携を断つために築かれた。
天気がよければ譲葉山へ続く稜線の奥に黒井城が見えるのだが、周りは真っ白だった。

山頂のすぐ先に、大江山の鬼が架けたという「鬼の架け橋」がある。
1449年の丹波地震でできたとの記録があるという。
ということは、城ができる約130年も前から、この奇岩があったのか。
また後世、浮世絵師・安藤広重が丹波に来て、「日本六十余州名所絵図」の中で、
「鬼の架け橋」を描いた。

昼過ぎに到着したので、めいめいの写真を撮影したあと、巨岩で北風を避けてランチタイム。
ちょうど小雨もやんで、ありがたかった。

下山は南へ尾根道を下る。北風は金山そのものに遮られ、まったく別の山のよう。

園林寺跡に下りてきた。
この寺は、もと日蓮宗円光寺の末寺で、江戸末期に村からこの地に移され、
明治末期から大正時代は尼寺となり栄えたという。
少し下ったところの枝道に入ると、かつての行場「滝跡」があり、岩壁の上に
役行者と、岩壁の割れ目に不動明王が祀られていたというが、以前踏査した時は
見つけられなかった。今回は滝跡には寄らない。

緩やかな尾根道を、さらに南へと下る。
NHKアンテナが立つ分岐の手前からは、大山荘の田圃が見下ろせる。
もとは藤原氏の荘園だった大山荘は、のちに京都の東寺の所有になる。
これは、空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を空海の死後に売却し、
その資金で買ったものだそうだ。

なおも緩い坂を下り、獣除けの柵を通り過ぎると、真言宗の大乗寺の下手に出る。
大乗寺の創建は白鳳時代(645-710年)で、法道仙人が開いたという。
大いに栄えていたが、光秀の丹波攻めで焼失した。1597年に現在地に再建された。
仁王門は、かなり立派な造りだ。

村の旧街道に出て、単なるガードレールの欄干である橋が見える。
じつは和泉式部ゆかりの由緒ある橋、「別れじの橋」だ。

大江雅致の娘・和泉式部は平安時代の歌人で、恋多き女性として知られる。
丹波への旅の途中に子どもを宿し、ここ大山宮で女児を産み「加祢」と名付けた。
加祢を乳母に預け、泣きながら別れた場所だという。
加祢は美しく成長し、再びこの地を訪れた和泉式部と再会する。
京に連れ帰られると「小式部の内侍」として、「大江山 生野の道の遠ければ 
まだ文も見ず 天の橋立」の歌を残した。

追手神社に到着。先ほどの大乗寺とは神仏習合の関係だったという。
創立年は不明ながら1000年以上の歴史があるという。
境内にある「千年モミ」は樹高35.58m、幹周7.68mで、国指定天然記念物。
この他にも、推定樹齢350年の夫婦イチョウがある。
山手に見える巨大な切り株は、かつて樹高30m、幹周4.9mもあったエゾエノキ。

最後に、春の妖精(スプリング・エフェメラル)の群落に立ち寄る。

ちょうどセツブンソウが満開だった。

セリバオウレンも可憐に咲いていた。

アズマイチゲ、ユキワリイチゲは蕾、キクザキイチゲ、ニリンソウ、イチリンソウ、
キバナノアマナはまだこれからだ。
ここのエリアは4月下旬まで、このようにいろいろな花が順に咲いていく。

駐車場に戻る途中、伊能忠敬ご一行10名が測量のためこの地を訪れ、
村人131名を雇って測量したことを記した記念碑がある。
ショートトリップではあるが、見どころ豊富な里山。もっと人気が出てもいい。

2026年2月23日(月) 大阪市内の超低山(茶臼山、天保山など)を、1日で9座すべて回れるか!!

■メイン写真
天王寺公園の中にある茶臼山の山頂

■今回のコース
西九条駅・西九条バス停⇒(大阪シティバス)⇒舞洲スポーツアイランドバス停→
①新夕日ヶ丘⇒舞洲スポーツアイランドバス停⇒(大阪シティバス)⇒西九条バス停・
西九条駅⇒(JR環状線)⇒京橋⇒(OsakaMetro長堀鶴見緑地線)⇒鶴見緑地駅→②鶴見新山
→鶴見緑地駅⇒(OsakaMetro長堀鶴見緑地線)⇒玉造駅→③宰相山→玉造駅⇒(JR環状線)⇒
桃谷駅→④御勝山→桃谷駅⇒(JR環状線)⇒天王寺駅→⑤茶臼山→天王寺駅前駅⇒
(阪堺電気軌道上町線)⇒松虫駅→⑥聖天山→天下茶屋駅⇒(南海高野線)⇒帝塚山駅→
⑦帝塚山(古墳)→岸里玉出駅⇒(南海汐見橋線)⇒津守駅→(落合上渡船場)→⑧昭和山→
大正駅⇒(JR環状線)⇒弁天町駅⇒(OsakaMetro中央線)⇒大阪港駅→⑨天保山⇒
(天保山渡船場)⇒桜島駅


大阪市には9つの「山」がある。
最高峰は、鶴見緑地内にある人工の山、鶴見新山(39m)。
次いで大正区の昭和山(33m)。
以下、天王寺公園内の茶臼山(26m)、舞洲の新夕日ヶ丘(25m)、帝塚山(20m)、
御勝山(14m)、聖天山(14m)、真田幸村ゆかりの宰相山(10m)、天保山(4.5m)と続く。

これを1日で回ることができるのか、2010年に、岳友たちと、堺市の蘇鉄山を加えた
10座を巡ったことがあるが、当時は大阪市をくまなく走っていた「赤バス」を100円で
乗り継ぐなどして制覇できた。
今回、タクシーの利用は不可、走らない、路線バス・鉄道・渡船は利用可という
自分たちのルールで再挑戦してみた。当然、回る順番も少し変わっているし、
もしかしたらもっと効率の良い回り方もあったかもしれない。

今回、サラリーマン時代の先輩Y氏が同行してくださった。
彼とは同じ職場になったことはないが、同じアウトドア志向者として引き合うものがある。

 

西九条バス停から、始発のバスで舞洲スポーツアイランドへ。

すぐそこにそびえる(笑)、新夕日ヶ丘の山容を確認する。

登山道は、ひたすら直登の難所。

苦労の末たどりついた山頂。この夕日ヶ丘には、総理大臣はいなかった(古いっ!)。

舞洲スポーツアイランド発の、これまた始発のバスで西九条に戻り、
環状線で京橋に出たあと、OsakaMetro長堀鶴見緑地線で鶴見緑地へ。

かつて花博が行われた鶴見緑地。

そのシンボルだった風車を見ながら、大阪市最高峰の鶴見新山へ。

鶴見新山も、山頂までは直登ルートだ。

大阪市最高峰・鶴見新山に、無酸素登頂を達成!!

ふたたびOsakaMetro長堀鶴見緑地線に乗り、玉造駅へ。
付近は真田幸村(信繁)ゆかりの場所が点在しており、次に目指す宰相山も、そのひとつだ。

ほどなく真田山 三光神社に到着。

左横が「真田の抜け穴」と伝わる横穴。
穴は大坂城につながっていて、真田幸村はこれを使って戦場に出たと伝わる。
実際は、古墳時代後期(4世紀頃)の古墳だという。

すぐ上が公園のなっている。便宜上、宰相山の山頂だ。
隣は真田山陸軍墓地で、日本初の軍用墓地である。

環状線で桃谷に移動し、お次は御勝山へ。桃谷商店街を抜ける。

ここは古墳なので、山頂は立入禁止。直下の説明板を以て、登頂扱いとする。
車道をまたぐ陸橋から、御勝山を「見下ろせる」のも面白い。
ここで昼時を迎えたので、持参しているおにぎり、菓子パンで腹を満たす。
桃谷商店街で食事する手もあるが、時間のロスを少しでも減らしたいのだ。

ちなみに御勝山古墳の敷地内に、大阪府立農学校址の石碑がある。

桃谷駅から、環状線で天王寺駅へ。「てんしば」を抜けて、
河底池の向こうに茶臼山を望む。

山頂には、かなり豪華な山頂標石がある。
周囲にはクスノキなどが植えられ、展望はいまひとつ。
大坂の陣にまつわる解説板がいっぱい設置されていて、ここも真田推し。

東側の「登山口」には、これまた豪勢なオブジェがある。

天王寺からは、阪堺電車に乗って松虫駅へ移動する。

聖天山は、公園の向こう。

山頂は正圓寺の境内の中だが、東側と南側からの道は閉鎖されている。

原因のひとつは、この廃墟ビル。
吉田兼好ゆかりの正圓寺だが、元住職が寺の資金を詐取したとして、詐欺罪で実刑判決を
下された。 その原因は、元住職が2017年頃、境内に特別養護老人ホームの建設を計画し、
間もなく着工したものの資金が行き詰まり、知人とともに土地の売買を図ったものの、
土地は転売され、「寺は乗っ取られた」として元住職が知人らを提訴する事態になっているらしい。
廃墟ビルは、特別養護老人ホームになるはずだったものだが、今なお不法侵入を図る
物好きがいるようで、逮捕者も出ているという。

正圓寺は山門が閉じられている。標高的には、山門のところでも最高点と同じといえ、
聖天山の登頂とみなす。

山門から境内を覗いてみた。由緒ある寺だけに、なんとかならないものか。

徒歩10分強で、南海電鉄の天下茶屋駅へ。

高野線で南へひと駅、帝塚山駅へ。高級住宅街の中を帝塚山古墳へ。
ここも古墳なので、山頂に立つことはできない。説明板の前で、登頂と見做す。
以前来た時は、樹木が茂っていたような記憶があるが、伐採されていた。

南海本線の岸里玉手駅に向かい、南海汐見橋線の2両編成の電車で津守駅へ。

津守駅から、木津川添いの落合上渡船場で、無料の渡船に乗って対岸へ。

渡船は1時間に4本あり、地元住民の通勤通学等に使われている。

いつしか時計は16時前。
千鳥公園の敷地内にある昭和山への階段を上る。

昭和山は、地下鉄の建設時に出た残土を盛ってできた山だ。

周囲にはスイセンが植えられ、「麓」には梅が咲いていた。

少し距離があったが、バスを待つよりマシなので大正駅まで歩き、
環状線で弁天町へ、さらにOsakaMetro中央線で大阪港駅へ。

最後の「山」、天保山の三角点。

三角点の横には、明治天皇観艦之所の碑が立つ。明治元年3月26日、明治天皇が、
我が国初の観艦式に臨んだことを記念して、昭和4年に建造されたもの。

17:30。ちょうど夕陽が沈む時間帯。
登山を続けるには危険な時間になってしまった。
この日は荷物を軽量化したため、ツェルトを持っていないのでビバークできない。

天保山渡船場で安治川の対岸へ。

待合室に、江戸時代に描かれた天保山の絵が飾られていたが、えらい岩峰のよう。
実際はゴミ捨て場が盛り上がって、そこに桜の木を植えたのが始まり。

海遊館を眺めながら対岸に渡る。

ゴールはJR桜島駅。終着駅なので余裕で座れた。
日没してしまったが、暗くなる直前に間に合った。
なんだかんだで3万歩ほど歩いていたのには驚かされた。

2026年2月22日(日) [六甲]摩耶山へ、天狗道と上野道を歩く!!

■メイン写真
木立に囲まれた摩耶山の三角点

■今回のコース
新神戸駅→布引滝→桜茶屋→(稲妻坂)→(天狗道)→摩耶山→掬星台→(上野道)→摩耶史跡公園→
虹の駅→摩耶ケーブル下バス停


きれいに晴れそうだということで、摩耶山に出かけた。
ちょっと必要になった写真を補いたかったので、ちょうどいいチャンスだ。

新神戸駅からガードをくぐり駅の北側へ。
そういえば、新幹線の駅から直接歩ける山って、そんなに多くないかも。

砂子橋(いさごばし)を渡る。レンガ調のレトロなデザインがいいなと思ったら、
明治時代建造の重要文化財なのである。

布引滝雌滝。落差19m。

布引滝雄滝。落差43m。

おんたき茶屋。もちろん、まだ開いてない。

みはらし展望台への道中、ソウシチョウの群れがいた。
人との距離も比較的近い。外来生物法で特定外来生物に指定されているが、
最近増えてきているように感じる。

みはらし展望台からの眺め。大都市にこんなに近い山。

五本松かくれ滝。このところの乾燥、渇水で、みる影もなし。

布引五本松ダム。

布引貯水池。

布引断層。

締切堰堤。

紅葉茶屋。

あけぼの茶屋は知らないうちに完全に撤去されていた。

桜茶屋。

稲妻坂、天狗道への入口。
ようやく、ここから山道がスタートする。
いきなりの急登がつらい。

花崗岩の楽しい岩場が出てくるのは、学校林道が合流したあとの急登。
軽装のトレラン姿の二人組を、完全にブッちぎってしまった。ごめんね。

この岩の裏側には必ず寄り道したい。

この先に、大絶景が広がる、知る人ぞ知る展望ポイントだ。
ゆっくり撮影していたら、トレランコンビがこちらに気づかずに
苦しそうに天狗道をひたすら登って行った。

摩耶山の山頂。
天井寺の坊さんが、天狗を封印した岩がある。
お隣の三角点を含め、眺めもなく地味な山頂ではあるが、静けさがいい。

そして、広々とした掬星台へ。
3連休中なのに、あまり人は多くない。
なぜなら、まやビューライン(摩耶ロープウエーと、摩耶ケーブル)がちょうど
点検のため運休しているのだ。

掬星台からは、少しばかり春霞がかかっているものの、いい眺め。

まやビューラインの星の駅に隣接するテイクアウトカフェ「摩耶ビューテラス702」で
チリドッグとホットコーヒーを楽しんだ。開店してくれて、ありかたい!!
チリドッグに使われていたチリソースには、ちゃんとチリビーンズ(豆)も入っていて
美味しかった。

「摩耶ビューテラス702」から見た旧摩耶観光ホテル(マヤカン)の廃墟。

上野道で下山する。
急な階段道を下り、三権現社跡へ。

旧天上寺の親子杉。
幹回り445センチ・高さは25メートルの巨杉だったが、2018年(平成30年)9月、台風20号の
被害により倒れてしまい、しばらくはハイカーは倒木の下をくぐり抜けるようになっていたが、
現在は危なくないよう、折れた幹は摩耶史跡公園の片隅に寄せられている。

旧天上寺の伽藍跡。1976年(昭和51年)1月30日、賽銭泥棒が放火してほぼ全焼。
その後、摩耶別山に移築されている。

参道の石段を少し下ると、標識があり、西へ50m入ると、旧摩耶の大杉がある。
旧天上寺の火災により徐々に樹勢が衰えて枯死したが、幹回り8mの迫力は、
今も衰えない。

仁王門。これは少し離れているので、火災を免れた。
仁王像は、新しい天上寺に移されている。
ここで長い石段は終わる。

摩耶花壇の向かい、コンクリートの骨組みだけが残る。

摩耶花壇は、かつて宿泊施設と大食堂があるモダンな建物だった。
現在は、老朽化した小屋に摩耶花壇の文字が残るが、そこに、かつての
摩耶花壇の写真が貼られている。

まやビューラインの虹の駅。
この向こうに「マヤカン」があるのだが、一般立入は禁止で、たまに関係者主催の
見学ツアーがある。

このあたり、こうして遺跡化した建物跡が続くので、「マヤ遺跡」とも呼ばれている。

千万弗展望台跡。ここにもかつて、立派な展望台の建物があった。

上野道を下っていくと、天上寺への丁石が一部残されている。

 

かなり下ってきて、最後の展望台。ずいぶん市街地が近づいてきた。

この展望台、登山道は鉄橋の下をくぐっている。

最後は五鬼城展望公園を抜けて、住宅街に出る。
摩耶ケーブル下バス停では、ケーブルカーが動いていると思って訪れた中国人の
観光客家族が運休を知って呆然としていた。

 

2026年2月21日(土) [十津川村]某所のバイカオウレン群落を今年も訪問!!

■メイン写真
一面、満開のバイカオウレン!!

■今回のコース
十津川村のバイカオウレン群落⇒ホテル昴

 

春の妖精(スプリング・エフェメラル)の代表的選手、バイカオウレンと
セリバオウレンがみられる十津川村某所を、今年も訪れた。
「ほとんど歩かない」自然観察に振り切った臨時企画だ。

行ってみると、クルマの数が今までになく多い。
私有地でもあり、踏み荒らされたり盗掘されたりするのを防ぐため、
具体的な場所は明かさないというのがお互いのマナーではあるものの、
人と人とのコミュニケーションとは恐ろしいもので、知る人も増えてきたと
いうことだ。

半歩、草付きに足を出して写真を撮っている人がちらほら見かけられ、ロープの
中に足を半歩入れている人もいた。
ここは、思い切って声に出して注意させてもらった。

そこから踏み固められ、土をつかんでいた草の根が消え、裸地になり、坂の上からの
雨水により土が削られ、そして人が踏んでいなかった隣接地盤が連鎖して崩れ落ちる。
この貴重な群落は、お互いに守っていかねばならない。

花盛りのバイカオウレン。

この日は風もなく、写真を撮るには最適だ。

よく見ると、セリバオウレンも紛れて咲いている。

花びらのように見える「萼片」、標準は5枚だが、稀に八重咲きのものが見つかる。

切り株の上に咲く。

ヤブコウジの赤い実と、バイカオウレンのセット。

花を観ていると、見知らぬご婦人から名前を呼ばれた。
登山教室のパンフレットをお送りしているものの、タイミングが合わず、まだ
参加したことがない方とのこと。
ご一緒のご婦人は、数年前、別のガイドさんとの山行の際に、横でウチのパーティが
いたとのことで、顔は憶えてますとのこと、いやー、ビックリした。

帰りに、ホテル昴の温泉に立ち寄る。明るいうちから温泉に入れるシアワセ!!

2026年2月18日(水) [丹波]青垣のセツブンソウ群落4カ所を総めぐり!!

メイン写真
東芦田の柴居に咲き乱れていたセツブンソウ

■今回のコース
東芦田の群落(柴居→江古端→江古花園→芦生)⇒佐地神社近くの群落⇒
青垣いきものふれあいの里⇒遠阪の群落⇒道の駅あおがき

春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれる相州の野草の中でも、
開花時期が早い方とされるセツブンソウ。分布は限られ、絶滅危惧種に指定
されている府県も多い。

そんなセツブンソウだが、丹波市青垣町には、群落が大きく4カ所に存在する。
今回、そのすべての群落を一気に巡ってみた。
日当たりや標高の関係で、咲きっぷりには多少のバラツキがあったが、
それぞれに咲いていて、可憐な姿を楽しめた。

まずは東芦田の群落へ。ここは「セツブンソウの回廊」として、群生地を周回できる。



柴居の群生地では、今回いちばんの密集ぶり、満開の様子がみられた。
じつにラッキーだ。
保護のための協力金をチャリンと切り株風のポストに入れる。

日当たりのいい場所で、群落には足を踏み入れられないようにロープが張られている。

アップの1枚。

江古端の群落は、あまり咲いておらず、江古宮神社の前を通って、江古花園へと向かう。

江古花園に到着。

1人あたり200円の協力金を支払う。



こちらは、密集することなく、あちこちパラパラと咲いていた。

Cafe Gentenの手前で、白馬が飼われていた。ポーちゃんという名前らしい。
ひたすら飼葉をムシャムシャ。かわいい。

築200年の蘆田家住宅を改装したCafe Genten。まだオープン時間ではない。

芦生の群落は、なんと民家のお庭。

こんなプライベートな場所を公開してくださるとは感動だ。

次に、クルマを佐地神社に回す。

境内の裏手から左の農道へ、ほんの少しの距離で、平坦な群生地に着く。
ここはロープが張られていないので、貴重な株を踏まないように細心の注意を払う。

セツブンソウは構造がやや変わっていて、白い花びら(花弁)のように見えるのは、
じつは萼片だという。
花弁は、退化して黄色の蜜腺になっている。
雄しべは多数あり、葯は青色。雌しべは2~6個で、花柱は紫色。
白、黄色、青紫色の配色が、なんとも愛らしいのである。

3つ目の群落は、青垣いきものふれあいの里。



職員さんにいろいろ教えて頂きながら、柵で囲まれた小さな群落を観察した。

セツブンソウの花弁は5枚が標準的だが、よく探すと、たまに6枚モノがある。

これは4枚モノ。

せっかくなので、青垣いきものふれあいの里の展示フロアにもお邪魔した。

佐地川など近隣流域で見られる川魚(写真はタナゴ)が水槽に飼われていたり、
主な動植物、鉱物などの標本が並んでいて、大いに学びとなった。

職員さんの説明によると、当エリアの渓流には日本海側に多いヤマメと、
太平洋側に多いアマゴの両方が棲息しているのが珍しいという。
これは、過去何度かの地殻変動により、分水嶺の位置が変わり、由良川水系の水が
加古川水系側に流れ込んだり、その逆になった時期があったりして、お互いの
生態系が混じったことによるらしい。地球の壮大なロマンを感じる。
佐地川など、さらに上流部にはイワナもいるとか。

職員さんの特別のはからいで、園内に咲き始めたザゼンソウを案内して頂いた。

ここを起点に、烏帽子山とセットにして歩いてみたい。

最後に遠阪の群落へ。

ここは周回できるよう、ロープが導いてくれる。
斜面に咲くセツブンソウは、こちらを向いて咲いてくれていて写真に撮りやすい。

帰り際に、道の駅あおがきに寄って休憩&お買い物。

2026年2月15日(日) ささやまの森公園から、三府県境の舩谷山と、北摂最高峰・深山へ!!

■メイン写真
北摂最高峰・深山の山頂には、深山宮が鎮座する

■今回のコース
ささやまの森公園→(深山古道)→扇岩→扇ナリ→庫阪峠→舩谷山→深山→舩谷山→
(東尾根)→蛇岩→満燈山→雑木林の散策路分岐→あずま屋→ささやまの森公園


大阪府の北端の山として知られる深山は、京都府側の「るり渓」から、ごく軽い
ハイキングで登れるが、兵庫県側のささやまの森公園を起点にアプローチすると、
素朴で美しい雑木林歩きを楽しめる。

ささやまの森公園は、「兵庫県立ふるさとの森公園」施策のひとつで、2002年に
オープンした。
「環境面への配慮」とのことで飲料自販機すら置いていないのが泣き所だが、
設備としては非常に充実しており、クルマを置かせていただけるだけでありがたい。

ただ、ガイドの立場としては、駐車料金は払ってもいいし、その地域の山で
楽しませていただくのであれば、現地経済に少しでも貢献できる(つまり、少しでも
ゼニを落としていける)機会がそもそもないというのは、申し訳ない気がする。

まずは、深山古道をたどる。沢沿いの未舗装林道だ。
ささやまの森公園による「森の迷路」などがあって飽きない。

猪避けの石垣が残る。イノシシが田んぼを荒らさないよう、石垣を設けた名残だ。
同様の石垣は全国各地にあり「猪垣」などと呼ばれている。
そういえば、この日は立ち寄らなかったが、ささやまの森公園内には、かつての
「隠し田」の跡もあっておもしろい。

林道が終わり、標高450mあたりで谷筋を外れ、左の小尾根へ移る。
歩行量はあまり多くないと思われ、ルート上には落ち葉が積もる。

扇岩に到着。なかなかの迫力である。

もう一度、沢沿い(といっても、もう水は流れていない)に戻ると、
「扇ナリ」という、少し開けた場所に出る。
ここは、かつて肥料用の草刈り場で、里から見ると扇状の形に見えたという。
今はシカが多く、下草そのものがまばらな状態だ。

丹波篠山市の指定天然記念物でもある「川原のナツツバキ」。
高さ15m、目通り1mあり、ナツツバキとしては大きい。
シカ害から護るため、ネットが巻いてある。

どこが道かもわからないが、登りきると庫阪峠だ。

足元に、蜂の巣の残骸が転がっていた。

庫阪峠で稜線に出て、ちょっとした急坂を上る。
かつて設けられた階段は、段の木材が朽ちたのか、黒い金属製の杭だけがずっと
残されたままで、却って違和感があった。

たどりついたピークが、舩谷山だ(深山の山頂標識では「船谷山」となっている)。
このピークは、兵庫県京都府大阪府の3府県境界であるが、
三角点もなく、展望にも恵まれない、地味な場所である。
なぜ「三国山」という名にならなかったのかなと、ちょっと考えてみたら、
江戸時代までは、兵庫県丹波篠山市京都府南丹市は、ともに丹波国だった。

なだらかな尾根を深山に向かう。

山頂直下だけは、樹林がなく、ススキが生えている。
足元の残雪がシャーベット状になって滑りやすく、ススキの茎を握りながら進む。

深山山頂に到着!!
厳密な最高点は、深山宮の中なので踏めないが、ここでOK。山頂である。
深山宮は、山主さんが個人で造られたと聞く。
よって、拝殿、神殿、社務所などといったものはない。
周囲は大パノラマが広がる。山名同定できるよう説明板があるのがありがたい。

南側には気象データ観測所がある。クルマは入れない。

帰りは、まず舩谷山まで戻り、東尾根を北上する。
地形図のP526(展望岩と、蛇岩がある)まで、標高差200mを下ることになる。

P526には、水準点が埋められている。
展望岩は、雑木に邪魔されて眺めはよくない。
少し北に下ると、蛇岩(じゃいわ)の全貌が見える。

P526から満燈山へ向かう。道中2か所の標識では「万燈山」となっている。
本日いちばんの急傾斜といっていい。

満燈山も、展望には恵まれない。
ここからも「杉木立の道」で、ささやまの森公園に戻れるが、少し道が荒れていそうな
雰囲気を感じていたので、P526まで戻ることにした。

下り始めると、深山がチラッと見えた。

満燈山振り返る。

P526の直前で、ピークを踏まずにショートカットして、ささやまの森公園に下る
道に入る。
ずっと曇っていたが、最後に薄日が差してきた。雑木林が美しく輝き始めた。

エビズエの道との分岐のすぐ上にあるあずま屋。

あずま屋からは、ちょうど、ささやまの森公園が見下ろせる。
その先は八幡谷ダムだ。

ささやまの森公園に下りてきた。
これといった難所はないが、ところどころ踏み跡が落ち葉に隠されていたりして
基本的な読図力は必要だ。ささやまの森公園の事務所で、詳しい地図が入手できる。

帰りに能勢温泉に寄ってサッパリ!
久しぶりだったが、この日もいい湯だった。