Mr.Dashのぶろぐ館(新館)

関西の山々や日本アルプスが大好き。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅡ)、山岳ライターでもあるMr.Dashのブログです。Gooブログのサービス停止(2025/11)により、引っ越してきました!

2026年10月6日(火) [環境省主催ツアー]大台ヶ原、通常は入れない特別なエリアを歩く!

■メイン写真
某所で見つかった、トロッコの線路の残骸

■今回のルート
大台ヶ原駐車場→(東大台)→トロッコ軌道跡→防鹿柵内見学→インクライン跡→
(西大台)→大台ヶ原駐車場

環境省近畿環境局の主催による、『神秘の森 荘厳の山 大台ヶ原を歩く』、
「登録ガイドと歩く特別なツアー(歴史/自然再生見学ツアー)のガイドを担当した。

環境省の特別な許可のもと、通常は入れない、東大台/西大台の歩道外エリアを
歩くというもの。
7月の下見を経て、環境省や上北山村関係者の尽力で、今回初めて実現した行程だ。
募集をスタートして、一瞬で定員に達したらしく、関係者もビックリの出足と
なった。

 

朝、大台ヶ原駐車場に着いたときの気温は14度。一面の霧、冷たい北風。

 

今回、最終的に西大台に入るので、ビジターセンターで事前レクチャーを受ける。

 

東大台の某所から、周回遊歩道を外れ、約100年前にトロッコ軌道があった場所に
入る。大台ヶ原は当時、四日市製紙による大規模な伐採が行われていた。

 

トロッコ軌道跡は任務を終えたのちは完全に放置。いまでは幾つか倒木もある。

 

木材の積み替え場所と思われる場所には、レールの継ぎ目に使うジョイント部品と
思われる鉄材が落ちていた。
山から冷たい風が下ろしてくる。これは稜線に出たら吹きっさらしだろうと予想し、
少し早い時間だが、風を避けて昼食タイムをとった。

おだやかな地形の稜線に出ると、案の定、冷たい風がビュービュー。
再びトロッコ軌道跡のような地形が確認できる。

 

古い空き缶が見つかった。プルタブがなく、缶に直接穴を2つ開ける時代のもの。
ここが作業場として使われていたことがわかる。

 

稜線上には、平成28年に設置された防鹿柵のゲートがあり、今回、特別にカギを
開けて中に入る。

 

防鹿柵内は意外にもササの生育はまばらで、その背丈も低い。
そのおかげか、いろいろな木の幼樹が育ち始めている。これはブナ。

 

これはシロヤシオ。ウラジロモミやカエデの幼樹も多数確認できた。
長い時間がかかるが、自然の森がしっかり回復してくれたらありがたい。

 

稜線の向こう側は、まっすぐに伸びたインクライン跡。
谷筋から、尾根上まで木材を引き上げ、先ほど歩いてきたといろにあったトロッコに
載せ替えたと考えられる。

 

インクライン跡に、碍子が転がっていた。直径数ミリの錆びたワイヤーも並行している。
電気の供給用か、電信用か。

 

丸い金属のパーツ。これは何に使われていた部品だろう?

 

コケが美しい。古きよき大台ヶ原の雰囲気が残っている。
100年前に伐採されたとはいえ、自然のたくましい回復力を感じる。

 

坂を下り、インクライン跡の下のほうには、頑丈な金属ケーブルがぶら下がっていた。

坂を下りきると、沢の手前に、人工的な平坦地がある。木材をインクラインに積み替えた
集積所の跡と思われる。

 

古いコンクリートから、頑丈な鉄杭が何本も出ている。機動設備の跡だと思われる。

 

この平坦地では、「DAINIPPON」の刻印がみられる、割れたガラス瓶が落ちていた。
戦前の大手ビール会社「大日本ビール」はアサヒビールの前身で、戦後、会社が分割された。

 

ハンドクリームか、オロナインか、薬瓶のようなもの。
レンガや、酒瓶・茶碗のカケラなども散乱している。

 

平坦地の裏側には、野面積みの石垣がみられる。

 

慎重に沢を渡り、西大台エリアに入る。対岸にも茶碗やレンガなどが散らばる。
長さ50cmくらいのレールも見つかった。
これは滑車に使われた部品だろうか。

 

西大台の周回路に戻り、もう1か所、作業小屋があったらしい平坦地を見学。
ナゴヤ谷の美しい流れに癒される。

 

あとは周回路を歩き、駐車場へ向かう。

 

三叉路には、このたび新設されたクマ除けの鐘。
この日、同行してくださった環境省の方が設置されたものだという。お見事、拍手!!

 

大台ヶ原はキノコの季節。ツキヨタケの群落があった。

ビジターセンターに戻り、ご参加の皆様にはアンケートにご協力いただく。
「あなたの知らない大台ヶ原」のキャッチコピーどおりの感動を得られただろうか。
駐車場の気温はなんと10℃。売店前の自販機で買ったホットコーヒーがありがたかった。

2026年10月4日(日) [台高]大峠から赤ゾレ山の硯池(ハート池)をロング縦走!

■メイン写真
今回の目標、赤ゾレ山直下にある、ハート形の硯池!!

■今回のルート
大峠(高見峠)→陣ヶ平→建設省三角点→雲ヶ瀬山→ハッピノタワ→ハンシ山→伊勢辻
→伊勢辻山→赤ゾレ山→硯池→(往路を戻る)→高見峠(大峠)

 

天気が心配なこの日。
午後から少し崩れる様子だったが、当日朝の雨雲レーダーでは、ギリギリ
もちそうな予感も。まずは計画通り大峠へ向かい、出発。
頭の中では、どのタイミングで引き返すべきか、引き返すとすれば、
このあとの時間、お客様をどこにお連れしようか、いろいろ考えていた。

 

陣ヶ平の古い標識。「1968年」と書かれているので、60年も前に付けられたのか?
スタートの大峠で気温15度。尾根筋は冷たい東風が流れている。

 

続いて、普通の三角点とはどうもデザインが異なる「三角点」を通過。
もちろん、現在の地形図には、ここは三角点とはなっていない。

 

深い霧の中、最初のピーク、雲ヶ瀬山に到着。展望はない。

 

切通しには、東から強烈な冷風が吹きつけていた。寒い寒い。

 

ハッピノタワ。
珍しい地名で、由来が知りたい。「法被」と関連性があるのかな?
タワは「垰」。たわんでいる地形で、峠やコルも同義だ。

 

三重県側が伐採されているところを通過。
前回、ここを歩いた時は直射日光が暑かったなぁ。

 

クマさんの樹皮剥ぎ痕。まあ、数は少ないが棲息エリアではある。

 

ハンシ山は、とっても沁みなピークだ。

 

標高を稼ぐにつれ、立派なブナやミズナラが出現する。

 

奇妙な枝ぶりの樹も。

 

急登一番、伊勢辻に突き上げる。

 

道中、いろいろなキノコが出ていた。

 

伊勢辻山に到着。

 

霧は少し薄くなったが、絶景を楽しめるというほどではない。

 

カエデ、ブナ、ミズナラなどの美しい尾根道を行く。

 

ヤマハッカが咲いていた。

 

最後のピーク、赤ゾレ山に到着。遠かったなぁ~!!

 

本来は台高稜線や薊岳の絶景が楽しめる場所だが…

 

今回のゴールである、赤ゾレ山の直下にある硯池。
ハート形の池としてSNS時代の到来とともに人気が出たが、どこからアクセスしても、
それなりに歩かねばならない。
写真を撮っっていたら、とうとう雨がポツリポツリと落ち始めた。

 

池のほとりにはスギゴケが美しい群落を形成していた。

下山は、北ルートを忠実に戻る。
今回はロングルート。それなりのペースで歩かなければ日が暮れる。

 

16:10、がんばっていただいた甲斐あって、無事、大峠に帰着。

帰りに東吉野村のマルシェに寄って、熱いコーヒーや大福などで、ようやく
人心地。たまには硬派な登山もいいもんだ。


[この日、見かけたキノコ]

 

■名称不明

 

■ハナビラタケ

 

■ホコリタケ

 

■オオオニテングタケ

 

■アカハツ系のきのこだと思うが…

 

■ハナイグチ

 

■ナラタケ?

 

■腐りかけのマイタケ

2026年10月3日(土) [六甲]船坂谷から石の宝殿へ、ルートファインディングを楽しむ!

■メイン写真
船坂谷にかかる川上ノ滝

■今回のルート
舟坂橋バス停→老ヶ石→川上ノ滝→カーブNo112→石の宝殿→蛇谷北山→土樋割峠→
東おたふく山→東おたふく山登山口バス停


六甲山系で北側から延びる各ルートは、ハイカーの姿が比較的少ない玄人好みの
ルートが多い。この船坂谷も、川上ノ滝を過ぎると踏み跡が薄くなり、
ルートファインディングの楽しさが味わえる好ルートだ。

舟坂橋バス停でバスを降り、船坂川に沿って林道を行く。

 

人家がなくなると、まず沢を2回渡る。2度目はコンクリートの沈下橋が流されていて
徒渉することになる。

ガマズミの実が熟していた。山はもう秋。

老ヶ石。
この岩を伐り出そうとした職人が、その瞬間に姿を消してしまったとか、
岩から赤い血が出てきたとか。

 

老ヶ石の向かい(山側)には、玉姫大神を祀った岩屋がある。
玉姫大神は、一般的には良縁の神、安産の神などとされる。

 

シラヤマギクが咲いている。

 

このルートでは、砂防堰堤(これは船坂第3堰堤)を幾つか巻き越えるのが大変。

 

川上ノ滝に到着!!
末広がりの美しい滝だ。

 

川上ノ滝から先はルートが不明瞭になり、ルートファインディングを
しながら歩くことになる。

 

難所は、やはり堰堤の高巻き。
足場は豊富で、ホールドも木の根などシッカリしている。ちゃんと注意を払えば、
見かけほどは難しくない。

 

思いがけず、アケボノソウ群落がを発見。

 

コウヤボウキ。

 

アキチョウジ。

 

標高700mを超えても、まだ堰堤の巻きがある。

 

最後は笹薮を分けながらの急登を経て、芦有ドライブウェイの112番カーブの
ところに出る。

 

クルマに気をつけながら、車道を少し西へ進む。道路を渡って、石の鳥居をくぐる。
鳥居の額には、「石宝殿 白山の宮」とある。来期には六甲山神社という。
白山信仰の神社、神功皇后の三韓征伐にまつわる伝説、古代の磐座信仰や
六甲修験との関係、江戸時代の麓の2つの集落による石の神殿の建設エピソード
など、伝説に富む場所だ。

 

社務所の前からは、北摂方面が大きく開ける。
池田の五月山、園田競馬場、伊丹空港、吹田の万博記念公園、大阪市街のビル街、
遠く生駒山など、この日はワイドに見渡せて気持ちよかった。

 

境内の広場でランチタイム。
ここから蛇谷北山、土樋割峠へ続く登山道が延びる。
六甲アイランド、ポートアイランド、神戸空港などが眼下に望める。

 

一気に下り、ササに囲まれた蛇谷北山へ。展望は皆無だ。
六甲山系には、クマはもちろんシカも定住していないので、森の下草が保たれている。

 

土樋割(どびわり)峠で、林道を横断する。
珍しい地名の「土樋割峠」。その由来を、改めて調べてみた。
1827年(文政10年)の干ばつに困った芦屋川流域の芦屋・打出の村人が、住吉川の水を
この峠を経由して、土の樋で芦屋川に水を流そうとしたところ、水が減ってしまった
住吉の村人が土樋を破壊したという事件があったそうだ。

 

東おたふく山に到着。
ここからもオーシャンビューが楽しめる。

 

東おたふく山から5分ほど下ったところも絶景ポイント。

 

どんどん下り、蛇谷を渡ると、土樋割峠か続く舗装林道に合する。

 

東おたふく山登山口バス停に到着。バスが到着する15分前にうまく着けた。


[この日、見かけたキノコたち]

 

■オニフスベ?

 

■オニテングタケ?

 

■ホウキタケ

 

■コテングタケモドキ?

2026年9月30日(水) [弘法トレイル]天狗倉山、高城山、武士ヶ峯をお手軽に巡る!

■メイン写真
霧の中、静寂に包まれた武士ヶ峯の山頂

■今回のルート
九尾林道駐車スペース→ゲート→徒渉→弘法トレイル出合→天狗倉山→弘法トレイル出合→
狼越→高城山→西之谷林道出合→武士ヶ峯→西之谷林道出合→西之谷林道駐車スペース


吉野と高野山(金剛峯寺)を結ぶロングトレイル「弘法トレイル」は、大部分が植林の中を
通るため、タイムトライアルに関心が集中しているトレランの人々には向いているかも
しれないが、多様な自然を楽しみたいハイカーには敬遠されがち。
弘法大師が実際に通ったのはバス道の「すずかけの道」の方なので、歴史的にも
弘法大使と直接の関係がない、少し地味な縦走路である。

とはいえ、主だったピークの中で、クルマを回送すれば日帰りで歩ける区間もある。
今回、天川村側からの林道をフル活用し、天狗倉山、高城山、武士ヶ峯の3座を
踏んできた。

クルマで九尾(つづらお)林道を進んでいく。今朝さっきまでの雨で、本来、滝がない
場所に、臨時の滝があちこちにできていた。

 

九尾谷も、絶賛増水中である。

金属製の土管が放置してある、道幅が少し広くなっているところまで、木の枝や
落石を整理しながら進めたが、その先は道路上の落石がきつく、クルマはここまで。

 

しばらく林道を歩く。小池谷に入ってすぐ、林道にゲートがある。

ゲートから約250mあたりで、増水した小沢を飛び越え、急斜面の廃道に入る。

 

強烈な急登は、標高差で100mほど続く。
踏み跡が定かではない部分は、足の置き場所をうまく探して、数m単位で小さく
ジグザグを切って登ると負担が少ないのだが、まっすぐ大股に直登してしまうと、
すぐにふくらはぎが悲鳴をあげる。用心しよう。

 

傾斜が少し緩くなると、若いアセビのブッシュで歩きにくい尾根道となる。
これを突破し、弘法トレイルに合流する。歩きやすい、幅広の尾根道だ。

まずは右をとり、天狗倉山をめざす。

 

巨岩の脇を通っていく。

 

霧の中の天狗倉山。植林の中で、晴れていても展望は期待できない。
ここで昼食タイムをとったが、中くらいのサイズのスズメバチ(たぶんヒメスズメバチ)が
Sさんにホバリングして離れなくなったので、ひとまず退散。
もとの登山道を引き返し、少し広くなったところで改めて昼食タイムをとった。

 

さっき通ってきた分岐を過ぎ、快調に狼越も過ぎる。
この日のルートには、ほぼ岩場はないのだが、唯一、岩が詰まったところを越える。

 

尾根道の植林は、ほぼヒノキ。すぐ下が岩盤なので、根が表を這う。

 

高城山に到着、標高1111mのゾロ目の山。
霧が濃く、ムードはよいが、景色はゼロ。

 

山頂から10分ほど下ると、大きなブナが現れる。
この日の行程では貴重な自然林。

やがて、天川村側から作業林道が寄ってくる。
しばらくはこの道と絡みながら西へと尾根をたどる。
P949を越え、西之谷林道に合する。

 

カーブミラーのところから尾根に取り付くが、崩れた路肩の土砂を、この取り付きに
寄せて積んでしまったようで、そこにススキが茂り、取付点が分かりにくくなっていた。
なんとか裏から薮を分けると、明瞭な山道が出てきた。

 

最後の坂を登りきると、武士ヶ峯(北峰)の静かなピークに着く。

あとは西之谷林道に戻り、少し下ると、広くなった草地にお迎えのクルマが
待っていてくれた。
心配された雨には遭わずにすんでラッキー。終始、霧の中で、北からの風が涼しい
山行だったが、麓の天河大辨財天社あたりは時折晴れ、おだやかな天気だったようだ。


季節柄、いろんな種類のキノコが出ていた。
この日、見かけたキノコたち。名前はほとんど分からない。

 

■ハラタケの仲間かな?

■ウロコタケの仲間かな?

 

■これは、、、わからない・・・・
 傘の直径は7~8cm程度。

 

■ハナビラタケ

 

■タマゴタケ

 

■クヌギタケ?

 

■ヒメオニタケ?

■テングタケと、シロオニタケ?のセット。

 

■これもハラタケの仲間だろうか?

 

■またまたタマゴタケ

 

■ナラタケモドキ?

2026年9月24日(木) [加古川市・播磨町] 別府鉄道の廃線跡を歩く!!

■メイン写真
播磨町郷土資料館の裏手に保存されている、別府鉄道の車両

■今回のルート
加古川駅→野口駅跡→(松風こみち)→円長寺広場(圓長寺駅跡)→別府港駅跡→大中遺跡公園→
播磨町郷土資料館→(であいのみち)→土山駅


先日の三木鉄道廃線跡に続き、またまた必要に迫られ、今度は別府鉄道の廃線跡を
歩いてきた。こちらもノスタルジーあふれる廃線歩きとなった。

別府鉄道は、加古川市別府(べふ)町にある多木製肥所(現在の多木化学株式会社)が、
製品の化学肥料を全国へ輸送するために敷設した鉄道だ。
1921(大正10)年に野口線(3.6km)、1923(大正12)年に土山線(4.0km)が開通した。

もともと貨物輸送が中心の鉄道ということで、旅客輸送は二の次のような位置づけで、
1984年2月1日の全線廃止まで、レトロな車両が使われていた。
廃止当時は旅客輸送のみとなっていた野口線が1日10往復、土山線は4往復だったという。
今から思うと、乗っておいたらよかった。

加古川駅を出て、まずは旧高砂線跡をたどる。

 

現在は一般道路として活用されている。

 

加古川市役所を過ぎたあたりに、野口駅跡がある。

 

台車が展示され、朝から地元の方なのか、草刈りをしておられた。
こうして今でも大切にされているんだな。

高砂線に連絡する形で、別府鉄道野口線はこの駅からスタートし、
藤原製作所前駅→円長寺駅→坂井駅(1937年に遅れて設置)→別府口駅→別府港駅
へと結んでいた。

 

野口駅跡から200mほど先で、線路跡は遊歩道「松風こみち」として活用されている。

 

別府川を渡る、当時のままの鉄橋。

 

休憩所が設けられている。藤原製作所前駅跡らしいが、説明はない。

 

円長寺広場(圓長寺駅跡) に到着。
1931(昭和6)年、日本車輛製のガソリンカーで、1964(昭和39)年、三岐鉄道から
譲り受けた「キハ2」が展示されている。

 

現在も定期的にメンテされているようだ。

 

両妻面に付けられた荷台は、行商人が運ぶ鮮魚、野菜、自転車などを置くためのもの。

 

300mほど進んだ踏切跡。線路が残っている。

 

国道250号線をくぐり、休憩所(坂井駅跡)を過ぎると、ふたたび線路が残る
踏切跡がある。道中、歩ける範囲で線路があるのはこの2か所のみだ。

 

山陽電鉄・別府駅横のガードをくぐる。

 

終点の別府港駅付近は、パチンコ店とその駐車場となっており、その奥はイトーヨーカドー
などが入る総合ショッピングセンター「アリオ加古川」となっている。
かつて、別府港駅からは多木製肥所工場内へと引き込み線が続いていたという。

 

後半は、土山線を歩く。土山線は、別府港駅→中野駅→国鉄土山駅を結んでいた。
別府港駅から東北東へ。山陽電鉄の松ノ上東架道橋をくぐる。

 

しばらくは完全に一般道路となっていて、鉄道遺構の気配が全くない。
国道250号線を過ぎてしばらくすると左にコンテナが置いてあるのを見つけた。
最近まで、ここには貨車のワ124が置いてあった。
国鉄のワ3090を改造したものだ。ワ124は、どこに行ったのだろう。
川崎車輛工場前信号所跡は、現在の工場(株式会社浜田工業所)の構内にレールが残る。

 

大中遺跡公園に到着。
ここから、廃線跡は「であいのみち」として遊歩道になっている。

 

大中遺跡は1962(昭和37)年、播磨中学校の生徒3人によって発見された。
約10年をかけて発掘調査され、弥生時代後期の集落遺跡であることがわかった。

竪穴式住居などが幾つか、復元・展示されている。

 

公園の隣には播磨町郷土資料館があり、別府鉄道の在りし日の様子などが
展示されている。
資料館の裏には、車両が展示されている。ディーゼル機関車DC302、客車ハフ5、
そして貨車のワ124だ。ワ124は、ここに移設され、新たに3両目として連結されることに
なったのか。
この秋まで、この工事が行われていて、ワ124はブルーシートの向こうにあった。

 

DC302は、昭和28(1953)年、川崎車両の製造で、もとは倉敷市営鉄道(現水島臨海鉄道)で
使用。1966年に別府鉄道に譲渡されたもの。

 

廃線まで現役だった客車のハフ5は、車輪は4輪で貨車のような台車。
乗り心地はよくなかっただろう。
これは1930(昭和5)年、日本車輌製のガゾリンカー。神中鉄道(現相模鉄道)キハ10として
デビュー。エンジンが外されハ10となり、その後、三岐鉄道を経て、1959(昭和34)年に
別府鉄道にやってきた。

 

兵庫県立考古博物館を通り過ぎて、ふるさと橋を渡る。

 

圓満寺ご自慢の五重塔を観ながら、遊歩道は続く。

 

「であいのみち」には、古代から現代まで、主な出来事を表現したモニュメントが
設置されている。レールを曲げて造られた「タイムトンネルゲート」。

 

レールを斜めにカットして造られた、年代別のモニュメント。

 

ゴールの土山駅前には、BiVi土山というショッピングセンターがあり、
駅名標に似せた表示板がある。その下には線路を模したタイルが店内に向かっていた。
土山駅には、別府鉄道の痕跡は見当たらず、線路跡は自転車置き場になっていた。

2026年9月19日(金)~21日(月) [北ア]蓮華温泉から、ゆったり風吹大池へ!

■メイン写真
北アルプスで最も大きい山上湖、風吹大池。

■今回のルート
19日 白馬蓮華温泉ロッジ[泊]
20日 白馬蓮華温泉ロッジ→風吹大池入口バス停→(笹目尾根)→風吹天狗原→風吹山荘
    →風吹岳→小敷池の横→神ノ田圃下→科鉢池の横→風吹天狗原→風吹山荘[泊]
21日 風吹山荘→風吹天狗原→(笹目尾根)→風吹大池入口バス停→白馬蓮華温泉ロッジ


シルバーウイークの機会に、北アルプスで最大の山上湖、風吹大池を訪ねた。
今年は各地の湿原を訪ねているが、風吹大池の隣にも風吹天狗原という大湿原が
広がり、これまでの「北アルプス」の印象がガラッと変わるような印象的な風景を
楽しんできた。

蓮華温泉に前泊。久しぶりの訪問だ。

夕食時間までに、野天風呂に入ってきた。
蓮華温泉には4つの野天風呂がある。脱衣所などはない、ワイルドな湯だ。

三国一の湯。

 

仙気の湯。山岳誌「山と溪谷」の最新の10月号の表紙にもなっている。

 

すぐ横は噴気が立ち込めている。

 

女性優先の、薬師湯。一番上にあって、他から見えない位置にある。

 

黄金湯。

 

20日朝。心配された台風は進度が遅く、この日いっぱいは天気はもつようだ。

 

白馬蓮華温泉ロッジから、バス道を約1.8km戻った風吹大池入口バス停が
登山口だ。

 

のっけから標高差300mの急登だ。
まず驚かされるのは、ヒノキの巨木群。根っこがすごい。

 

厳しい登りだが、固定ロープや鎖が設置されるほどではない。

 

1時間ちょいで、笹目尾根に登りつく。

 

 

ミズバショウの群落が点在していた。
稜線とはいえ、年中、じめじめしているのだろう。

 

雪倉岳の勇姿。

 

ドロドロで歩きにくい尾根道をたどっていくと、湿原に出た。
背後は朝日岳から糸魚川へと延びる峰々。あの尾根を栂海新道が通っている。

 

イワショウブの花の痕。白い花が終わると、赤い実ができる。

 

スゲの仲間が色づき始めた湿原を行く。

 

千国揚尾根との分岐。
千国揚尾根は、かつて小谷村方面から蓮華鉱山などへの荷揚げに使われており、
この名があるらしい。風吹山荘のあたりは、その歩荷の中継基地だったという。
えらい長距離の荷揚げだ。

 

風吹天狗原。かなり大きな湿原だ。湿原を抜ける木道が続く。

 

風吹大池が見えてきた。なんという美しい光景だろうか。
後ろのピークは岩菅山。

 

風吹山荘が見えてきた。完全予約制の小さな小屋。

 

ウメバチソウがまだ咲き残っていた。幸運にも2輪だけ、残ってくれていた。

 

風吹大池には、一周できる周遊路がつけられている。
せっかくここまで来たので、歩かないわけにはいかない。
反時計回りで歩き始める。序盤は池のそばを歩く。

 

コイワカガミが1輪だけ、まだ残っていた。

 

風吹岳にも寄ってみる。

 

ベニナギナタダケ。

 

マイナーなはずの風吹岳への道は、意外にも木段が設けられていたりする。

 

山頂には、あずま屋が建っている。

頸城山塊の方角が開けているものの、雲が出ていてよくわからない。

 

風吹岳の直下には、小敷池がある。
風吹大池と並んでいるが、水位が明らかに異なり、こちらは少し低い。
火山湖の風吹大池には魚はいないが、小敷池は歩荷の先人が食料補給用にフナを
放流し、今も棲息しているようだ。フナがもってきた藻が生育し、風吹大池とは
異なって深緑色の水だ。

風吹大池の西側に回ってきた。こちらは池の水面から50mほど上がった小尾根を行く。

 

尾根道の東側の窪地に、もうひとつ小さな池がある。科鉢池だ。
こちらも深緑の水をたたえていた。

 

色づき始めたカエデ。10月初旬頃はどんなに綺麗だろうか。

 

翌日、台風の進度は遅く、雨に降られることなく元の道を戻れた。

下山後、もう一度蓮華温泉で入浴し、最後の最後まで癒しの山旅となった。


[この日、見かけた秋の実たち]

 

■ナナカマド

 

■ゴゼンタチバナ

 

■シラタマノキ

 

■クロマメノキ
 風吹天狗原の湿原には、背の低いクロマメノキが多かった。

 

■ツバメオモト

 

■ユキザサ

2026年9月17日(木) 三木鉄道(旧国鉄三木線)廃線跡を歩く!!

■メイン写真
三木鉄道の廃線跡は、サイクリングロードになっている

■今回のルート
JR加古川線・厄神駅→国包駅跡→橋梁跡→下石野駅跡→石野駅跡→西這田駅跡→別所駅跡→
高木駅跡→三木駅跡→本要寺→旧玉置家住宅→三木城跡→神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅


JR加古川線・厄神駅と、三木市を結んでいた三木鉄道。2008年4月1日に全線廃止となった
第3セクターの鉄道会社だった。現在、三木市側はサイクリングロード(歩行者もOK)に
なっている。
今回、必要に迫られ(笑)、この廃線を歩いてきた。

ところでこの路線、もとは播州鉄道という会社が明治の末から、現在のJR加古川線、
北条鉄道などの路線を開設していった。
その中で、厄神~別所間が1916年(大正5年)。別所~三木間が1937年(大正6年)に
開通した。加古川、高砂方面への貨物輸送がメインの路線であった。
その後、播丹鉄道に譲渡され、さらに1943年に国有化され、国鉄三木線となった。

しかし、三木電気鉄道(現在の神戸電鉄)ができて、神戸方面に乗る利用客の方が
多くなったため、三木線の存在感は薄れ、1985年に第3セクター方式で三木鉄道が
発足した。赤字はその後も改善されず、先述のとおり2008年に廃止となった。

JR加古川線・厄神駅のホームには、線路がなくなった旧三木鉄道の路線跡が見てとれる。

 

かつては同じ国鉄同士。加古川線とつながっていた痕跡も。

 

駅を出発してしばらくは、廃線跡そのものを歩くことはできない。
線路は残っていない。

 

駅から500mほどで、廃線跡は「ふれあい小径」として整備されている。

 

国包駅跡は、簡易な休憩所となっている。

 

このように駅の説明がある。当時の写真が示されていて、雰囲気がよく伝わる。

 

「ふれあい小径」は、500mくらいで終わっていて、先に進めない。
車道を迂回する。

 

回り道となったが、橋梁跡に到着。当時の姿が偲ばれる遺構だ。

 

堤防状の路線跡に上がってみると、当時の勾配標識が残されていた。
この先にあるはずの宗佐駅跡は、それと思われる場所に行ったが、駅の説明などは
なかった。

 

ということで、ふたたび車道を迂回。宗佐の交差点を渡る。
頭上を通るのは、東播磨南北道路だ。
この先の坂を上がりきったところで、加古川市から三木市に入る。

 

三木市に入って、電線の手前当たりで左の細道に入ると、最短距離で
廃線跡に戻れる。
廃線跡を振り返ると、工事中で、歩き抜けられないのは明白。

 

三木市側の4.8kmは、「別所ゆめ街道」として、サイクリングロードになっている。
起点には無料駐車場もある。

 

起点からすぐのところ、下石野駅跡。

 

当時の信号を見つけた。こうした鉄道遺構、萌える。

 

両側は田圃。コースとしては単調だ。
ここをかつて、蒸気機関車が貨物車両を引いていたのか…

 

「香の小径」の標識には、かつてのレールが使われていた。

 

踏切跡も、当時のものがそのまま残っている。

 

当時のホームが残る石野駅跡には、そこだけレールが敷かれたまま。
駅舎は新しく休憩舎になっている。

休憩舎の中にはスタンプと台紙が置いてあった。

 

石野駅跡から西這田駅跡までは、三木鉄道最長の駅間で1.7kmあるため、
途中に簡易な休憩所がある。

 

美嚢川支流の花尻川を渡る橋梁。
横から橋げたをみると、当時のものである印象を受けた。

 

西這田駅跡に到着。ここは駅の説明板のみ。

 

道路との交差点の北側に、レストラン&カフェの「I Tea HOUSE」があるが、
開店は11:00からということで、この日はパス。次回に寄ろう。

 

またまた勾配標識。
数字は消えているので、何パーミルなのかは分からないが、見た感じは平坦地。

 

1.1km歩いて、別所駅跡に到着。

 

ここも線路が残され、駅舎代わりに休憩舎がある。WCも清潔。

 

別所駅跡には、三木鉄道92年の沿革を刻んだ、立派な石碑が設置されている。

 

国道175号線の下をくぐる。

 

高木駅の説明板。民家の横だ。

 

最後は自転車用コースと歩行者用コースが分かれる。
廃線跡は舗装されておらず、歩行者用となっている。
それでも自転車の轍はいっぱいついていたが。

 

最後は、線路は残され、真ん中が簡易舗装となっている。
3つ目の勾配標識。

 

当時の入換標識が残っている!!
この先で線路はポイントで分かれ、終点の三木駅跡となる。

 

終点は、三木鉄道記念公園となっていて、地元のお年寄りがゲートボールを
楽しまれていた。子供用の遊具が列車の形だったのが面白かった。
当時の信号機が残されている。

 

三木駅跡の車止め。
オーバーラン事故は一度もなかったとの説明があった。

 

三木鉄道の旧三木駅舎を改築した、三木鉄道ふれあい館。
この日はあいにく休館日だった。

 

中を覗くと、当時の駅務室と窓口が!

 

あとは三木市の市街地を歩き、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅を目指す。
途中にあった旧玉置家住宅。
江戸時代の切手会所(現在の銀行)で、玉置氏はのちに三木銀行を設立した。

 

入館無料。鎧、蔵、座敷などを見学させていただいた。

 

三木城跡の入口には、ド派手な案内看板がある。
石段を登ると、ものの5分で三木城跡だ。

 

三木城は、15来期後半、別所則治が築いた。織田軍による「三木合戦」で、
羽柴秀吉がこの城を包囲し、兵糧攻めを展開。
別所方は、城壁の藁まで食べて1年10カ月をしのいだが、敢えなく降伏。
別所長治は家来や領民の命と引き換えに自刃した。

 

本丸跡からは、美嚢川の鉄橋を渡る神戸電鉄の電車が見下ろせる。

 

二の丸跡には、みき歴史資料館(入館無料)があり、じっくり見学した。
弥生時代の遺跡、三木合戦、三木飛行場、三木鉄道など、さまざまな歴史や、
三木秋祭りなど文化の情報が得られ、大いに勉強になった。

 

なんだかんだでクタクタになって、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅に到着。
電車に乗るとすぐに爆睡。首が痛くて目が覚めたら、終点の新開地駅の
手前だった。

2026年9月11日(金)~13日(日) 奇跡の晴天、やったー加賀白山(花編)!

■メイン写真
青紫が美しいオヤマリンドウ

■今回のルート
9/11 白峰温泉[泊]
9/12 白峰温泉⇒市ノ瀬駐車場⇒(シャトルバス)⇒別当出合→(別当坂)→越前禅定道出合→
    (観光新道)→仙人窟→殿ヶ池避難小屋→蛇塚→黒ボコ岩→白山室堂→白山御前峰→
    白山室堂[泊]
9/13 白山室堂→黒ボコ岩→甚之助避難小屋→(砂防新道)→別当覗→中飯場→別当出合⇒
    (シャトルバス)⇒市ノ瀬駐車場⇒白峰温泉総湯

この日、見かけた花たちをまとめた。
9月も中旬なので、もっと少ないかなと思っていたが、種類、数ともに
十分楽しめた。
いつものとおり、マチガイがあれば終えてくださいね。

■サラシナショウマ

 

■アキギリ

 

■ツルリンドウ

 

■サルナシ(実)

 

■キツリフネ

 

■サワフタギ(実)

 

■ミヤマダイモンジソウ

 

■ミヤマアキノキリンソウ

 

■ミヤマコゴメグサ

 

■ツルニンジン

 

■オトギリソウ

 

■ハクサンシャジン

 

■ヤマハハコ

 

■シラタマノキ(実)

 

■タカネマツムシソウ

 

■キオン

 

■カライトソウ

 

■ウツボグサ

 

■タカネナデシコ

 

■ハクサンフウロ

 

■ミヤマセンキュウ?

 

■ハクサントリカブト

 

2026年9月11日(金)~13日(日) 奇跡の晴天、やったー加賀白山(行程編)!

■メイン写真
白山比咩神社祈祷殿と、バックにそびえる白山御前峰。まさかの青空!!

■今回のルート
9/11 白峰温泉[泊]
9/12 白峰温泉⇒市ノ瀬駐車場⇒(シャトルバス)⇒別当出合→(別当坂)→越前禅定道出合→
    (観光新道)→仙人窟→殿ヶ池避難小屋→蛇塚→黒ボコ岩→白山室堂→白山御前峰→
    白山室堂[泊]
9/13 白山室堂→黒ボコ岩→甚之助避難小屋→(砂防新道)→別当覗→中飯場→別当出合⇒
   (シャトルバス)⇒市ノ瀬駐車場⇒白峰温泉総湯


言わずと知れた日本三霊山のひとつ、白山。6年ぶりの訪問だ。
前回、白山に登ったのは2020年9月。コロナ禍で、寝袋を持参して室堂に泊った。
食事もパックご飯とレトルト丼、インスタントみそ汁という厳しい状況だった。

今回の最大の懸念材料は天気。
気象情報は見るたびに徐々に回復してはいたが、停滞前線がどこを通るのかで
天気が左右されるため、気が気ではない。

白峰温泉に前泊し、翌12日(土)、市ノ瀬からシャトルバスで別当出合へ。
どんよりとした雲が垂れ込む中、出発する。

 

登りは観光新道から。序盤の別当坂は、いきなり、なかなかの急坂が続く。

 

急坂には、階段状に石が積まれていて、整備は完璧。さすが日本三霊山。
ただ、きついのはきつい(笑)。

 

崩壊が進む柳谷川上流。しかし、稜線のガスは晴れてきているようだ。

 

越前禅定道出合に到着。
市ノ瀬から続く、古くからの巡礼の道と合流し、ここから先は尾根筋を行く。

 

予想していなかった青空が広がってきた。
陽の光が暑いのは仕方ないが、これはいい傾向だ。

 

仙人窟をくぐる。こうしたランドマークがあると楽しい。

 

餓鬼ヶ咽。尖った岩が集積している、荒々しい雰囲気の岩場だ。

 

殿ヶ池避難小屋に到着。

 

蛇塚(じゃづか)。
白山を開いた泰澄にまつわる伝説が残る。
白山にはかつて3000匹のオロチが棲んでおり、麓の村で狼藉を働いていた。
これを知った泰澄が、どうしても説得を聞き入れなかった千匹を埋めたと
伝わる場所だ。

 

黒ボコ岩に到着。観光新道と砂防新道の分岐でもある。
ここには、金沢生まれで、白山を愛した画家・玉井敬泉のレリーフがある。
昭和20年代、玉井はボッカさんに背負ってもらって白山に通い、絵を描いたという。

 

黒ボコ岩には、簡単に上に登れる。4~5人は座れるほどの平らなてっぺんだ。

 

すぐに平坦地に出る。弥陀ヶ原だ。ハイマツ群落の中を木道が延びる。

 

弥陀ヶ原を抜けると、室堂まで最後の登りだ。
弥陀ヶ原で一度、平らな道になったこともあり、この坂が地味に堪える。

 

白山室堂の山荘に到着。
チェックインを済ませ、荷物を軽くして、山頂を目指す。

青石。

 

山頂の白山比咩神社奥宮に到着.ああ、晴れている、晴れている!!

 

御前峰の三角点で、感激の時間を噛みしめる。

 

御前峰から、紺屋ヶ池と油ヶ池を見下ろす。
向こうにそびえるのは大汝峰。

 

白山室堂の山荘に戻り、夕陽を見る。
まさか夕陽が拝めるとは思っても見なかった。

翌朝、山荘は霧に包まれていた。
黒ボコ岩まで、昨日来た道をたどり、下山は砂防新道をとる。
ちょうど、モンベル。アウトドア・チャレンジのご一行と、抜きつ抜かれつで
下山することになった。

白山は山体崩壊が続いており、大正時代から砂防堤の建設が進められてきた。
これは甚之助谷第2号谷止工という所期の堤で、登録有形文化財になっている。

 

甚之助避難小屋。清潔なトイレもあり、水も豊富だ。

 

別当覗に到着。昨日、登った尾根が対面する。

 

柳谷川上流は崩壊が止まらない。何台もの重機が作業をしている。

 

ラストの吊り橋。これを渡れば別当出合だ。

 

感激のゴール!
皆さん、頑張っていただき、ありがとうございました。

 

下山後のご褒美は、もちろん温泉。
白峰温泉総湯に寄って、きれいさっぱり。

なお今回、ともちゃんはプライベートの用事のため参加できず、
大手登山ツアーの名ツアコンであり、登山資格をもつカオリちゃんに
同行して頂いた。
さりげない配慮、お客様との雰囲気づくり、すべてがプロの仕事ぶり。
改めて、お礼申し上げます。

2026年9月9日(水) [らくらく]熊野・紀和鉱山資料館、丸山千枚田、赤木城跡をめぐる!

■メイン写真
大小1340枚に及ぶ棚田の風景が美しい丸山千枚田。稲穂が実る季節!

■今回のルート
奈良⇒道の駅 吉野路上北山⇒道の駅 おくとろ⇒道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里(昼食)⇒
紀和鉱山資料館⇒丸山千枚田⇒赤木城跡⇒道の駅 きなりの郷 下北山⇒奈良


今月の「らくらく山歩の会」は、とうとう、山を歩かない企画に!
熊野市紀和町の丸山千枚田と、藤堂高虎が一揆の勢力を抑えるために築いた赤木城跡を
訪ねてきた。

まずは、昼食を摂った道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里の隣にある、
紀和鉱山資料館を訪れた。

 

建物の前に、トロッコ機関車が青空展示されている。

窓口のお兄さんが丁寧に説明してくださったが、
ウンチクの濃度、完成されたトークが、とにかくすばらしかった。
本当はもっと聞いていたかったが、メインの目的地に行く時間がなくなるので
最後は巻いてもらった。

道の駅 熊野・板屋九郎兵衛からも見える、現在の紀州鉱山選鉱場跡。

 

かつての紀州鉱山選鉱場は、夜も稼働しており、その灯りで「不夜城」と呼ばれた。
銀、金、銅などが採取されたが、工程は選鉱までで、精錬工程は持たなかったという。
精錬工程は、どうしても鉱毒が出るためで、精錬工場へは索道で運んでいた。

 

江戸時代の鉱内の様子(模型)。

 

館内に展示されていた、日本最大の蛍石。紫外線を当てると光る。
これも紀州鉱山から掘り出されたものだが、当時の鉱山関係者は、利益に直接
つながらない蛍石には見向きもしなかったという。

 

館内に静態保存されているトロッコ機関車。萌えた、萌えた。

 

丸山千枚田に移動する。注連縄がかけられた大岩。

 

1340枚ある田んぼの中で最小のものは、稲が3株だけ植わっているサイズ。
しっかり標識まで立てられている。

 

棚田の隅で見かけたミズギボウシ。

 

ツルボの小さい株。

 

ツルボの大きな株。

 

アキノタムラソウ。

 

赤木城跡に移る。芝生にショウリョウバッタがいた。
たくさんいても、「ショウリョウバッタ」。

 

前後するが、先ほどの資料館に赤木城跡のジオラマが展示されていた。

いい予習になった。

 

赤木城は小規模だが、石垣が丁寧、贅沢に造られている。
まさに城づくりの名人・藤堂高虎の面目躍如というところか。

 

一揆は、奮闘むなしく鎮圧されたが、考えてみると、機嫌よく当地を耕していた
地元の住民は、ある日突然、よそ者の羽柴秀吉が遣わした、弟の秀長の軍勢が
侵略してくるのだから、たまったものではないだろう。
武力による「天下統一」ということが、どれほど乱暴で拙速なことか、
立場を変えて考えてみるとよく分かる。

 

赤木城跡にて。

 

城跡で咲いていたヒメヤブラン。

ところで、この日は道中、休憩等のため4カ所の道の駅に立ち寄ったが、
これもまたへんかがあった楽しかった。