Mr.Dashのぶろぐ館(新館)

関西の山々や日本アルプスが大好き。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅡ)、山岳ライターでもあるMr.Dashのブログです。Gooブログのサービス停止(2025/11)により、引っ越してきました!

2025年12月4日(木) [熊野市紀和町]筏師の道(瀞峡~木津呂手前)、丸山千枚田をガイド研修で歩く!

■メイン写真
丸山千枚田と一族山

■今回のコース
瀞峡駐車場→山彦橋→連動出合⇒道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里⇒丸山千枚田赤木城

所属する奈良山岳自然ガイド協会の実地研修で、「筏師の道」の瀞峡~木津路(手前)区間と、
丸山千枚田および赤木城跡を歩いてきた。
いずれも近年、お客様のニーズが高まっていることに応えるためだ。

今回のスタートは瀞峡。
実際に筏師が歩いた方向とは逆の、上流から下流に向かって歩く。

なんとも美しい自然の造形だ。

山彦橋を渡る。

対岸に渡ると、三重県熊野市である。
序盤、断崖に桟橋がかかるが、そのあとは平穏な山道になる。

木津呂展望台への分岐には、休憩ベンチが設置してある。
尾根通しの木津呂展望台へは、標高差で400m以上、登らなくてはならない。
今回はトラバースしている筏師の道をたどる。

碍子が残る。最近までの生活の匂いがする遺構には、なんともいえないノスタルジー
感じる。

クルマを回送して、ちょうど昼頃に道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里に着く。
熊野地鶏のチャーシュー入りラーメンに、柚子胡椒を入れてもらう。
これがなかなかの美味だった。

道の駅からは、紀州鉱山選鉱所跡が見える。
研修では時間の関係で寄れなかったが、これは興味深い。
奈良時代から採掘がはじまり、一時は東洋一の銅鉱山と呼ばれた。

昼食の後は、再びクルマで移動。今度は丸山千枚田へ。
田植えの時期と、稲穂が黄金色に垂れるころ、一眼カメラを構えるおっさん達で
ごった返す、人気の観光地である。

振り仰ぐと、風伝アルプスの支脈にある589m峰の岩峰が迫る。
正式な登山道はどうやらなさそうだが、登高欲をくすぐられる。

丸山神社。ここの祭神は石凝姥命(いしこりどめのみこと)。
古代の銅鏡製造に関する神様だ。紀州銅山の存在を考えると、古代から、
精銅技術が発達していたことを物語る。
天の岩戸に隠れたアマテラスが、ウズメの踊りに興味を示してわずかに岩戸を
開けた時、石凝姥命が鏡をアマテラスに向けて、顔を映させるシーンがある。
アマテラスが油断した瞬間、タヂカラオが岩戸をエイヤッと開けるのである。

丸山千枚田の中ほどにある大石を見下ろす。なぜ、あんなところに巨岩が?

最後に赤木城跡に立ち寄る。
豊臣秀吉が金属と木材資源の支配をもくろみ、この地域で厳密な検地を
試みたことに反抗しる地元住民が一揆を起こしたことから、その対策として
藤堂高虎が築いた城とされる。小規模だが、石垣がみごとな城である。

赤木城跡からは、風伝アルプスの玉置山が間近に望める。
大峯奥駈道上にある玉置山とは別の山で、裏玉置とか、元玉置と呼ばれる。
なかなか険しい岩稜が、これまた山が"呼んで"いる。

北に、ひときわ尖ったピークがあったが、現地では同定できなかった。
帰宅して調べると、池原貯水池の南、大俣川西ノ谷の水源にあたる
991.3m峰であることが分かった。

さて、今回の経験を活かし、どのような魅力あふれる企画に料理しようか。
楽しみは増すばかりである。

2025年12月3日(水) [北摂]高代寺山へ、クマのとよくん、御神馬のいづめ君に会いに行く!

■メイン写真
高代寺で飼われているツキノワグマの「とよ」くん

■今回のコース
妙見口駅→旧山下道分岐→六地蔵→高代寺霊園→高代寺山→高代寺→吉川小学校分岐→
黒川分岐→吉川城址→吉川八幡神社妙見口駅


能勢の妙見山のすぐ西に、目立たないが見どころ豊富な里山がある。
真言宗の古刹・高代寺と、室町時代の山城跡がある高代寺山
だ。

能勢電鉄妙見口駅から、北へほんの少し進んで、分岐を左へ。
慶安3年の標石がある。

しばらく登ったところから、妙見山を眺める。

棚田跡を右に見ながら、古い参道を上る。

かつての炭焼きの名残をとどめる「台場クヌギ」。

吉川高代寺山参道六地蔵。慶安2年のもの。

「妙見里山倶楽部」の活動拠点には、会員募集中の札がかかっていた。
以前より、なんとなく寂れた印象。

登りきると舗装林道に出る。少し右に行ったところの分岐を
左に折り返すと、高代寺の霊園管理事務所に着く。
ドコモの無線中継所への道から、未舗装林道に入る。

頭上を見上げると、細い枝に絡みつくようにスズメバチの巣があった。
遠目に見ると、浮いているようだ。

高代寺の山頂には、能勢テレメーター中継局の設備が建っている。

残念ながら展望はなく、三角点と小さな祠が山頂であることを物語るのみ。

テープをたどり、落ち葉で不明瞭な道を少し下ると、高代寺に着く。
終わりかけの紅葉が、最後の美しさを奏でていた。

寺務所の前を通り過ぎると、厳重な檻がある。

中を覗くと、今、話題のツキノワグマがいた!!
2014年に豊能町山林の猪わなにかかったもので、推定15歳のオス。
檻の中に散り敷かれていたクヌギの実を食べていた。
少し話しかけると、両手を上げて威嚇するようなそぶり。
おかげで「月の輪」模様がハッキリ見えた。
あの素早さで飛びかかられたら、熊スプレーなど間に合うはずもないと感じた。

本堂前に戻り、紅葉を鑑賞しながら、不動堂の右手から竹林に続く山道をとる。

吉川高代寺五輪塔。吉川越後守仲頼(源仲頼)の墓だ。

分かりにくい分岐を右にとり、クヌギ林の尾根を東へ東へとたどる。

しばらく、なだらかな雑木林の尾根を歩き、ちょうど昼頃に吉川城跡に到着。
北からの冷たい風がもろに当たるので、南側の曲輪跡に下りて昼食タイムとした。

吉川城は、1492年に吉川豊前守長仲が築いた。
1573年、吉川城と井戸城が、山下城主の塩川長満に包囲されて落城し、
350人余りが一時に亡んだという。

少し下ったところからは、妙見山が正面に見える。
廃止されたケーブルカーの跡が寂しい。

落ち葉が積もった山道を下り、吉川八幡神社へ。
自生コジイの北限という。

ユニークな神社で、境内には能勢電鉄の廃車の「顔」が保存展示されている。

あわせて3車輛分あった。

社務所にはHOゲージの模型も。萌えた。

境内には、御神馬の「いづめ」が飼われている。
手を出すと噛まれると注意書きが張ってあったが、長い顔を出してきて、
こちらを見つめたので、「かわいいなぁ」といいながら、鼻先を撫でてやった。
予想通り、噛まれなかった。

下山後、妙見口駅前の「かめたに」さんで、いつもの「猪フルト」を注文。
寒い日だったので、生ビールではなく、能勢の地酒・秋鹿の燗を頼んだ。最高。

2025年11月29日(土) 茨木市生涯学習センター主催「はじめての登山」で阿武山へ!

■メイン写真
阿武山の「御神木」であるエノキの巨樹直下からの展望

■今回のコース
安威バス停→稲月大神→阿武山古墳→阿武山→安威川ダム管理所→大門寺→
ダムパークいばきた

コロナ禍の2000年に、茨木市生涯学習センターの英断で第1回を実施して以来、6年連続
となる「はじめての登山」講座。今年も担当させていただいた。
参加対象は茨木市民で、ありがたいことに毎回、定員確保の賑わいだ。
この自然体験教室、1回目が座学、2回目が実地(山行)というカリキュラムだ。
座学は、11月15日(土)、午前中の2時間で実施し、登山の現状、装備、歩き方のコツなど
基本的な内容とした。

今年の行先は、阿武山にしてみた。ゴールを、昨年オープンした「ダムパークいばきた」に
設定し、茨木市の新しいランドマークも楽しんでいただこうというものだ。
山行当日、阪急茨木市駅からバスに乗り、安威で下車。

登山口から階段を上がって、クルマが来ない場所で、まずは登山靴のヒモを
みんなできっちり結ぶことから始める。
足が靴の中でガサガサ暴れて、爪先などを痛めないようにするためだ。

スタートはちょっとした登り。

阿武山稲荷の大きな鳥居をくぐる。

稲月大神のお稲荷さんに到着。
元々、もう少し大きな神社があったようだが、明治時代の神社の統合令で、阿爲神社とに
統合されたらしい。

今回の行程は短い。少し歩いては、植物観察などにたっぷり時間をとる。
アオツヅラフジの実。
その実は、アンモナイトのようにクルリと巻いている。

センダンの実。
この日は、全体を通じてセンダンを多く見かけた。

まず、阿武山古墳に立ち寄る。藤原鎌足の墓と言われている「貴人の墓」だ。
隣接する京都大学の阿武山観測所の建設の際に、偶然発見された。
墓の周囲にはウバメガシが植えられている。

元の登山道に戻る、しばらく進むと、高槻市の中心街が見下ろせる展望スポットに着く。

エノキの巨樹は、阿武山の御神木とされている。

カエデやタカノツメなどが美しく色づいていた。

ちょうど昼頃、阿武山の山頂に到着。
名物のトーテムポールには、季節柄、サンタクロースの帽子が被されていた。
地元の阿武山保存会が、休憩ベンチやテーブルなどを設置するなど、
阿武山の整備に力を入れておられる。

広々とした山頂で昼食を済ませたあと、少し自然の中で遊ぶ。
まずはタカノツメの甘い香りを楽しんでいただいた。
茶色くなった落ち葉が、糖化により甘く香るのだ。
生涯学習センターから同行されたお姉さんも驚きの表情。

続いてネイチャーゲームを披露。
敷物に使ったツェルトについても、その役割をあとでレクチャーした。

山頂の少し北からは、送電線鉄塔が走る場所から大展望を楽しんだ。
この日は空気が澄んでいて、大阪市内のビル街はもちろん、遠く淡路島まで見渡せた。

踏み跡が薄い、薄暗い照葉樹林のなかを下っていくと、突然、コンクリート簡易舗装の
林道に出る。林道からは正面に新名神高速道路が見える。千提寺のあたりかな。

簡易舗装道はあっという間に途切れ、ふたたび山道になる。
少し下ると、突然、眼前が広く開ける。
安威川ダムを見下ろす高台に出たのだ。

安威川ダムは、2022年8月に完成したロックフィルダムだ。
堤高(ダム本体の高さ)は76.5m、堤頂長(ダム頂上部の長さ)は337.5mもある。
1967年の北摂豪雨災害では、安威川流域で死傷者61人、家屋の全半壊41戸、
浸水家屋約2万5千戸の被害を出した。これを契機に、ダム建設構想が立案された。
旧村の水没、いろんな反対運動や裁判もありながら、2014年からダム本体の建設が
始まった。全体事業費は1,676億円にのぼる。

昨年オープンした、長大な吊橋「GODA BRIDGE」と、背後に竜王山を望む。
「GODA BRIDGE」は、全長420mあり、歩行者用の吊橋として日本最長、
世界でも3番目に長いものだという。

安威川ダム管理所に下りてきた。
トイレをお借りして休憩。ダム周辺のジオラマ模型が展示されている。

また、ダムカードも入手できる。1周年記念バージョンは、ひょっとしてレアものか。

ダムの天端を歩いて渡り、対岸にある大門寺に立ち寄る。
真言宗御室派の寺で、安威河ダムの建設により、現在の高台に移転した。
庭園のカエデの美しさは有名で、この日も多くの観光客が訪れていた。

カエデはおそらく園芸種が主だが、その分、鮮やかな色づきが魅力だ。

歩道には、昔の瓦や石臼などがリサイクルされている。

真新しい本堂。
宝亀二年(771年)、開成皇子(桓武天皇の兄)が開基。弘法大師が金剛・蔵王の二像を刻み、
当寺の守護とした。ご本尊は、聖如意輪観世音菩薩、四天王像ともに平安末期の仏像で、
国の重要文化財。ともに秘仏である。

ゴールのダムパークいばきたに到着。「GODA BRIDGE」の前で解散とした。
送迎シャトルバスはJR茨木駅へ直通し、阪急バスは阪急茨木市駅に通じるが、
バス停の位置が全く異なるため、ここでの解散となったものだ。
ご参加の皆さんにも、楽しんで頂けたなら幸いだ。これを機に、登山に世界に
興味を持っていただけたら、なお嬉しい。

2025年11月26日(水) [京都]清滝から、小倉山、嵐山へ紅葉をたずねる!

■メイン写真
小倉山へ向かう遊歩道にて、イロハモミジの紅葉

■今回のコース
清滝バス停→(金鈴峡)→落合橋→六丁峠→小倉山→嵐山公園嵯峨嵐山駅


今月の「らくらく山歩の会」は、紅葉シーズンを狙って、清滝から小倉山に登り、
嵐山へ抜けるコースを選定した。

京都バスで、清滝へ。
清滝の渡猿橋のたもとから、清滝川の流れを見下ろす。
ここのカエデは少し焼けてしまっていて、赤色の発色はイマイチかな。

遊歩道に下りる階段は、いろんな色の敷きモミジ。

清流と紅葉、よく似合う。

金鈴峡の流れは、たまに変化して激流になっており、それがまたいい。

先日、高知県でシダにまみれてきたので、この日もシダに注目してしまう。
ミツデウラボシ。

昨日、雨が降っていたので、コケも元気。
ムチゴケ。

落合橋のカエデは、なかなかの発色。
ここからはしばらく、舗装道を歩く。

シリブカガシがたくさん路肩に落ちていた。

紅葉はカエデだけではない。
ネジキ。

コバノガマズミ。

センダン(栴檀)の樹もぽつぽつ見かけた。
センダンは、幹皮を乾燥させると、虫下しに効く生薬・苦楝皮となる。
熟したセンダンの実は、整腸に効く生薬・苦楝子だ。
また、生の果肉は塗布して、ひび、あかぎれ、しもやけの薬とする。

六丁峠で京都一周トレイルに別れを告げ、山道に入る。

ほどなく、保津峡が一望できるポイントに着く。

ちょうど保津川下りの舟がやってきた。
こちらを見上げてくれているような気もする・・・

ちょっとだけ岩場の急登があるが、用心すればたいしたことはない。

シノブかな?

ほかにヒトツバもみられた。

山道は200mくらいで終了。
嵐山・高尾パークウェイに接するところからは、幅広の遊歩道になる。
しかし、紅葉が美しいのはここからである。

まだ緑のままのカエデもあったが、きれいに色づいているものはまぶしいくらい。
曇り空でもこの美しさ。

遊歩道から脇道に入り、小倉山の山頂へ。

小倉山は、「小倉百人一首」ゆかりの山だが、展望もなく、地味すぎるピークだ。

遊歩道に戻る。鹿よけの柵があり、説明看板まで設置されているが…

柵は途中で途切れ、横から入り放題のため、柵の内側の植生は全く守られていない。
これって、いったいどうしたものか?

ふたたび山道に入るが、たいへん歩きやすい。
5分ほどで展望が開ける。大覚寺、大沢池、広沢池、仁和寺衣笠山、雙ヶ岡、
向こうに比叡山大文字山、東山、京都タワーなどが見渡せた。

サカキの実。

カナメモチ。

少し下ったところからも展望あり。
今度は、嵐山の渡月橋が眼下に望める。

大文字山の「大」の字は、左肩にあるのだが…

嵐山公園の上部に出る。旅館「星のや京都」と、大悲閣の嵐山妙見堂。

保津川下りの舟に、売店舟が横付けしているシーンに出くわした。

嵐山公園でもカエデを堪能。
渡月橋の交差点に出ると、そこは人種のるつぼのラッシュアワーだった。

2025年11月22日(土)~24日(月) [高知]珍しいヤッコソウと、洞窟を楽しむ山旅(その3)!

■メイン写真
海食洞としては珍しい、上流側に"出口"がある伊尾木洞

■今回のコース
24日 ホテルTAMAI⇒野良時計⇒安芸城跡⇒伊尾木洞⇒食膳処 りすぼん→安芸駅ぢばさん市場⇒
   龍河洞


高知遠征の最終日。この日はユニークな洞窟を二つ訪ねる。
「ホテルTAMAI」は階下がパチンコ屋というユニークな建物だったが、もちろん
パチンコ屋の音が聞こえることもなく、快適な睡眠を得られた。

朝一番で、予定外ではあるが、せっかくなので安芸市の歴史スポットを巡った。

まずは森澤家住宅へ。明治の地主屋敷の大規模な主屋として貴重なものだという。

続いて、すぐ近くにある「野良時計」へ。
明治の中頃、地主の畠中源馬氏が、独力で時計の歯車から分銅に至るまで、
手づくりで作り上げた時計台だ。今では安芸市のシンボルと言われる。
当時、畠中家の台所にあった米国製の掛時計を何度も分解しては組み立てて、時計の
構造を学んだという。

さらに、安芸城跡(城山)へ足を延ばす。
戦国武将・安芸氏の居城跡で、のち土佐藩家老の五藤氏が拠点とした。
城好きの落語家・春風亭昇太師匠も、ここに来られたとのことで、登り口に
看板があった。

最終日のメイン、伊尾木洞へ。ここも、海からの波に浸食されてできた天然の海食洞だ。

今回は、伊尾木洞観光案内所から、現地ガイドさんを依頼し、洞窟入口から約400m
にある滝を観る地点で折り返す「冒険コース」をご案内いただいた。
伊尾木洞には、沢が流れており、現地で長靴をレンタルする。
また、深いV字谷は落石等のリスクもあるため、ヘルメットも貸し出される。

それにしても巨大な穴。高さは約5m、幅は約4m、全長は約40m。

洞窟は奥でふさがっておらず、渓谷に続いている。

ものすごいV字谷だ。両岸の高さは50mはあろうか。
岩壁の上は平地で、田んぼになっているというから驚きだ。

両壁には一面にびっしりとシダが生えている。
伊尾木洞に自生するシダは、熱帯性ものを中心に40種類も確認されており、大正15年に
ここのシダ群落全体が国の天然記念物に指定されている。

シダや堆積岩に関する説明を受けながら、洞窟を抜け、渓流を歩く。

丸礫岩層がハッキリわかる。沢には小魚が泳いでいるのが見える。

中盤のゴルジュにかかる橋を渡る。

橋を渡り終えると、ハシゴで再び沢筋に下りる。
ここが唯一、安全面でちょっとだけ気をつけなければいけないところ。

ゴールの滝。「冒険コース」のツアーは、ここで引き返す。
ルート自体は、東山森林公園の龍王池へとつながっている。

帰りには、渓流の堆積岩にみられる貝化石を観察する。

2枚貝の痕跡がハッキリ。

コース中で見かけたシダたち。

ホウビシダ。「鳳尾」の名のとおり、鳳凰の尾っぽを連想させる。

マツザカシダ。イノモトソウの仲間だが、葉の中心に白い斑が入って美しい。

シロヤマゼンマイ。常緑の、熱帯性のゼンマイで、大きい葉は2mにもなる。

クリハラン。栗の葉に似た、長い一葉状のカタチ。

ノコギリシダ。側羽片の縁がノコギリの刃のようだ。

イワヒトデ。暖地の岩場や沢筋にみられる。ウラボシ科だと知って、妙に納得した。

ホングウシダ? サイゴクホングウシダというのもあるらしいが、よくわからん。

リョウメンシダ。これは、普段からおなじみ。

ホウライシダ。洞の入り口あたりに群生していた。

コモチシダもあるというが、この日は見なかった。

その他、印象的だった植物。

アリドオシ。

ツルコウジ。

この日のガイド陣は、メインのベテランガイドさんと、見習い中のガイドさん、
そして観光協会お兄ちゃんの3名という手厚い陣容。
分かりやすい説明が、ありがたかった。

うまいことお昼時になったので、
安芸駅前の「食膳処 りすぼん」でお好み焼きを楽しんだ。
本来は、このあたりではちりめん丼がご自慢なのだが、初日の夕食と、2日目の朝食に
出てきたので、もういいやという気分になったからである。

午後は、高知県の有名な観光地でもある、大規模鍾乳洞の龍河洞を訪ねた。

洞内にある滝。

西洋のお城のカーテンのようだ。

学生の頃、一度来ているはずなのだが、全く記憶に残っていなかった。
見学ルートは徒歩約1kmある。
夏季は、ガイドさんに頼むと、一般見学ルートではない、アドベンチャーなルートを
歩かせてくれる。

縄文時代には人が住んでいた痕跡があるとのことで、約1万年前の壺がそのまま
石灰石に覆われてしまった珍しい「神の壺」がある。

洞窟を出ると、石灰岩がところどころ露出した遊歩道を下ることになる。

そこで、またもやシダに目を奪われた。

コンテリクラマゴケ。イワヒバ科で、中国原産。

イノデ。「猪の手」である。これは普通にあるやつ。

ゲジゲジシダ。これも割によくあるやつ。

帰りは鳴門大橋の工事で車線規制となっていて、ものすごい渋滞に遭ったが、
その後はスムーズに流れた。
あまり山に登らなかった3日間だったが、それでも毎日1万歩以上、歩いていた。
珍しいものをいっぱい見た高知遠征となった。

2025年11月22日(土)~24日(月) [高知]珍しいヤッコソウと、洞窟を楽しむ山旅(その2)!

■メイン写真
金剛頂寺の境内に咲く、天然記念物のヤッコソウ

■今回のコース
23日 ニューサンパレスむろと⇒四十寺山⇒道の駅キラメッセ室戸⇒第26番・金剛頂寺
   第25番・津照寺⇒道の駅キラメッセ室戸⇒ホテルTAMAI[泊]

 

高知遠征の2日目。
ニューサンパレスむろとで、快晴の朝を迎えた。

午前中は、半日で往復できる低山、四十寺山(しじゅうじさん)へ登る。
オーシャンビューがすばらしい山だ。
四十寺山は、昨日訪れた最御崎寺が元々あったと伝わる場所で、その奥ノ院にあたる。
かつては伽藍が40箇所あったことが山名の由来だ。

登山口の手前には、6~7台が路肩に駐車できるスペースが指定されている。
少し東に進むと、登山口を示す標識がある。

入口の路傍に、外来種で、園芸向けに改良された種でもあるトレニアが咲いていた。

キツネノマゴ。

かつて棚田だったのか、その右手を上がっていく。

ゆっくり歩きはじめて15分。四十寺山が見える。

幅広の、歩きやすい登山道だ。

マルバハギだろうか。この時期になってもハギがまだ咲いている。さすが南国土佐。

センブリ。

第1展望台に到着。山の規模を考えると、豪華すぎる設備だ。

展望台からのすばらしい展望。

サルトリイバラ。
地方によってサンキライ、ガラタチ、ガラタテ、ボンガラ、クイノハ、ガメノハ、
ボテなどと多彩な呼び名があるが、このあたりではどうなのだろうか。

ヒオウギの実。真っ黒だが、これが若の枕詞に用いられる「ぬばたま」の由来だ。

山頂直下で「にしり岩」へ寄り道する。
にしり岩は、南に50mほど下ったところにある。
高さ7~8m、幅12mと言われるが、見たところ、もう少し小さいかも。

かつて空海は、現在の金剛頂寺付近で、室戸に出没する天魔や妖怪、魑魅魍魎どもを
退治していた。四十寺山の麓の農民たちがこの話を聞き、空海に四十寺山で加持祈祷を
行ってもらったところ、魑魅魍魎は空海の掌の中に吸い込まれた。空海はその手を
四十寺山のこの巨岩に押しつけ、さらに足で踏みつけて、魑魅魍魎を岩に封印したという。
閉じ込められた魑魅魍魎のせいか、岩は今でもわずかに移動しているといわれ、
「にしり岩(ずれる岩)」と呼ばれるようになった。

もとの登山道に戻ると、すぐに第2展望台に到着する。

さっきよりも高度感が増して、迫力を感じる眺め。

展望台の裏にあったシロダモの実。

ものの2~3分で、四十寺山の山頂に着く。
簡素な造りで、鍵もかかっていたが、いろいろ調べると、十一面観音、地蔵菩薩
薬師如来が祀られているようだ。

少し高くなったお堂の裏が、地形的に「山頂」である。
小祠の石仏には「室戸岬権現、宝暦二」と刻まれている。
展望もないこのピークで、かつての隆盛を静かに偲んだ。

元の道で下山しして、クルマを道の駅キラメッセ室戸に走らせる。
ちょうど昼頃になったので、道の駅で弁当を買った。
併設のレストランは、クジラ料理が自慢のようだが満席だったのだ。

すぐ裏の海岸が気持ちよさそうだったので、弁当はここで広げることにした。

午後は、いよいよ今回の旅の主目的であるヤッコソウ群落を求め、
四国八十八箇所の第26番・金剛頂寺に向かった。
行当岬の高台までは、クルマで行ける。
大同2年(807年)、平城天皇の勅願により、空海薬師如来像を彫造して創建した。
室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも通っている。

境内で見つけたイソザンショウ。
サンショウの名がつくが、ミカン科ではなく、バラ科の樹木。

境内に、天然記念物のヤッコソウ群落がある。
その場所へいざなう、牧野富太郎の立て看板。

ワクワク感が増幅する標石。

そしてヤッコソウとの感動の出会い!!

ヤッコソウは、ツブラジイやスダジイの地表近くの根に寄生する一年生の寄生植物だ。
牧野富太郎が新種認定した。

土佐新聞によると「幡多郡の中学教師だった山本一が生徒を連れ、土佐清水市
植物採集に出掛けた。その生徒の1人が加久見天満宮の境内で、この植物を発見する。
山本は牧野に標本を送り、それが新種の植物であることが確認されたのだった。
牧野は山本と自分の名を付した学名で『ヤッコソウ』を発表した」という。

 

感激さめやらぬまま、第25番・津照寺へ。

立て続けに各所をめぐり、さすがに疲れてきたので、もう一度
道の駅キラメッセ室戸に寄って、カフェタイムに移行していた「鯨の郷」で
休憩することにした。

クリームを凍らせてあるロールケーキとコーヒーで、ゆったり。

このあとは、この日の宿、安芸市の「ホテルTAMAI」へとクルマを走らせた。

2025年11月22日(土)~24日(月) [高知]珍しいヤッコソウと、洞窟を楽しむ山旅(その1)!

■メイン写真
室戸岬灯台から、沈みゆく太陽を眺める

■今回のコース
22日 道の駅宍喰⇒室戸世界ジオパークセンター⇒御厨人洞⇒第24番・最御崎寺
   室戸岬灯台⇒ニューサンパレスむろと[泊]


我が国では、高知県、宮崎県、沖縄県の一部にしか見られないというヤッコソウ。
かの牧野富太郎が広く世に紹介した、葉緑体を持たない珍しい寄生植物だ。
ともちゃんがどうしてもこれを見たいというので、今回、自然観察ハイクとして
企画した。

初日は移動日。夕方に室戸に着いて、宿に入るまでの時間、当地のジオスポットを
廻った。室戸世界ジオパークセンターに寄って情報収集をしたのち、まずは
御厨人洞(みくろど)へ。横穴が二つ並ぶ、左の洞窟だ。

ここは、当時19歳の弘法大師がこもり、悟りを開いたとされる海食洞だ。
洞内から見える空と海に感銘を受け、自らの名を空海としたという。

中に入ると、五所神社が鎮座する。主に生活の場とされていたというが、広~い。

右の洞窟「神明窟」は、主に修行の場として使われていたと伝わる。

御厨人洞の脇に咲いていた花たち。

ツワブキ

ツルソバ。

アゼトウナ。
うーむ、知識がないので、海辺の植物は相変わらずよくわからない。

御厨人洞のすぐ前、国道55号線を渡ると、海岸沿いに遊歩道がある。
この遊歩道は、室戸岬のいちばん南まで続いている。
タイドプールは、弘法大師も水浴びをしていたとか。

岩稜の変化に富んだ海岸。ハンレイ岩が多くみられるという。
ビシャゴ岩。

石橋がかかるところもあって面白い。

遊歩道を少しだけ歩いてみた。
テリノハイバラ。

ハマナデシコか?

シャリンバイの実。

リュウゼツランの花が咲いた痕。4~5mはあった。

イソギク

つぎに、四国八十八箇所霊場の第24番・最御崎寺(ほつみさきじ)を訪ねてみた。
唐から帰ってきた空海が、勅命により室戸を再訪し、建立したと伝わる寺。

境内にある明星石は、ハンレイ岩でできており、空海の修行中、星のように光を放ち、
毒龍の妨げを防いだという伝説がある。
写真は鏡石で、小石でたたくと高い金属音がして、この響きは冥土まで届くという。

境内では、珍しいヤッコソウが、わずかではあるが、花を開いていた。
今回の山行では、明日訪ねる予定の金剛頂寺でヤッコソウを見るのが主目的
だったが、思いがけず、初日に見ることができた。

最御崎寺から5分とかからないところに、室戸岬灯台がある。
巨大なレンズは、日本に5箇所しかない直径2.6mの「第一等フレネル式レンズ」だ。
実効光度は160万カンデラ光達距離は26.5海里(約49km)で、いずれも日本一という。

この日の宿、ニューサンパレスむろとに着いた。
ちょうど夕陽が海に沈んでいくところだった。

2025年11月16日(日) [竜口尾根]又剣山から、大蛇嵓を対面に望む展望台へ!

■メイン写真
又剣山の山頂から、大普賢岳大台ヶ原ドライブウェイの軌跡を遠望する

■今回のコース
新登山口→稜線出合→又剣山→丸塚山→五兵衛平→1320mピーク→大蛇嵓展望ポイント→
(往路を戻る)→新登山口

台高山脈の支脈・竜口尾根は、そのアプローチの困難さから秘境の山として知られる。
その主峰・又剣山を、久しぶりに歩いてきた。
小さなアップダウンをいくつもこなすルートは、数字上の累計標高差よりも
かなりきつく感じる。
天気は快晴、しかも空気が澄んでいて、大峰山系の主峰群や、大蛇嵓や中の滝など
大台ヶ原のすばらしい風景を楽しめた。

林道サンギリ線が工事中、通行止めのため、少し時間はかかるが林道橡谷西ノ谷線で
アプローチ。
まずは新登山口の少し南にある休憩舎から、大峰山系の主峰群を展望した。

三角形の山頂部がカッコいい釈迦ヶ岳、孔雀岳、仏生ヶ岳。

明星ヶ岳、八経ヶ岳、弥山。

普賢岳

新登山口から山に入る。この日は我々パーティーのほかは、誰も会わなかった。

稜線までは、浮石だらけ、落ち葉だらけで歩きにくさ満点の急坂を行く。

途中で見つけた、キラキラした結晶が美しい石。
どうも水晶のようだが、稜線に上がったところに置いてきてしまった。

落ち葉で踏み跡も定かではない尾根を上がる。
ひときわ目立つ、大きな枯れ木。

又剣山の山頂直下にさしかかると、たぶんアズキナシであろう、赤い実をつけた
木が並んでいた。

又剣山の三角点の横に、新宮山彦ぐるーぷさんの標識がある。

又剣山から、大台ヶ原の大蛇嵓方面を眺める。
大台ヶ原をこの角度から見られるのが、竜口尾根の魅力だ。

ほとんどの広葉樹は落葉していたが、一部のカエデはまだ美しい。

固定ロープの急坂をこなし、次のピーク、丸塚山を踏む。
ここの山頂は非常に狭く、1人ずつしか最高点に立てない。

まだまだ先は長い。丸塚山をあとにする。
風がほとんどないので、少し歩くだけで汗ばんでくる。

丸塚山からの下りも、なかなか厳しい。

1206m鞍部からも、すぐ東側の尖峰をみる。

若いヒメシャラが多みられる明るい尾根道で、ナナフシ発見。

五兵衛平は、このルートでは珍しい、平坦な小ピークで、
大きな岩がごろごろと散乱している。
簡単に隠れられる場所が多いので、お花摘みによい。

その先の鞍部では、錆びたワイヤーが散乱している。
かつての伐採の痕跡であるが、植林はされずに、ふたたび自然林化が進んでいるのは
好感が持てる。

カエデなどの紅葉。これもあと数日で散ってしまいそうだ。

1320mピークの手前は、裸地に巨樹が散在する、特徴的な光景がみられる。

1320mピークで、笙ノ峰に続く縦走路から外れ、東に少し下ると、
露岩の上から深いV字谷の東ノ川を挟んで、大蛇嵓がちょうど対面に迫る姿を拝める。
西大台の直下の大岩壁には、西ノ滝、中ノ滝が長大な軌跡を見せる。

カメラのズームを最大にするとも、大蛇嵓の展望台が見える。
大声でヤッホと叫んだが、あっちのハイカーに届いたかは分からない。

帰りは、元の道を戻る。
しだいに低くなっていく日の光に照らされて、ヒメシャラ林がオレンジ色に輝く。

又剣山まで5~6の小ピークを忠実に越えていく中で、体力がどんどん消耗していく。
絶景に慰められ、16時過ぎに無事、新登山口に下り立った。
皆さん、予想以上に厳しいルートだったようだが、がんばって頂いた。

帰りに、道の駅吉野路上北山で買い求めたチョコレートと熱いコーヒーが
とても美味しく感じた。

2025年11月12日(水) [十津川村・北山村]筏師の道(瀞峡~小松)、古道を歩く!!

■メイン写真
合川にかかる吊橋

■今回のコース
瀞八丁バス停(筏師のみち入口)→田戸の集落→秋葉神社→東野峠→東野集落跡→立会川吊橋→
寸検所跡→有蔵集落跡→大谷の滝→小松茶屋跡→小松駐車地⇒道の駅おくとろ

 



奈良県和歌山県三重県の3県境にあたる瀞峡から、「筏師の道」を歩いてきた。
昭和30年代はじごろまで、北山川流域で伐り出された木材は、筏を組んで北山川に
流され、新宮の港まで運ばれていた。この歴史は600年以上続いていたという。

その筏に乗って操縦していた「筏師」が、新宮からそれぞれの村に歩いて帰った道が
「筏師の道」であり、近年、地元の方々などの尽力により復興し、訪れる人が徐々に
増えつつある。

スタート地点は、瀞八丁。
地域ネコの「きなこ」は、撫でられても眠ったまま。

老舗の瀞ホテル。「紀伊半島大水害」により別棟が流出し、長らく休業していたが、
現在は、1日2組まで宿泊を受け付けており、また、軽食・喫茶も対応している。
営業日が限られているので、営業日程をHPで確認する必要がある。

「筏師の道」の入口。「北山峡筏師のみち」と書かれているが、北山村観光センターが
出しているパンフレットには「筏師の道」となっていて、表記は統一されていない。
ガイドブック著者としては、こういうのは悩みの元である。

序盤は、秋葉神社まではそこそこの急登である。
風情あふれる石畳の道を行く。

寺のような、集会所のような感じの最初の廃屋前に放置されている、錆びた発動機。
何に使ったのだろう。

田戸の集落。かなりの規模の石垣が見える。

一度、車道を渡り、幅も広く、歩きやすい木馬(きんま)道を上っていく。
やがて右に急な石段と鳥居が見え、一番上に上ると秋葉神社に着く。
秋葉神社し火伏の神であるが、紀伊半島にはタタラ製鉄の伝説があり、北から移ってきた
タタラ族は火を神聖視していたという。

もとの木馬道をさらに進む。右手は急峻で、迫力たっぷりの岩峰ものぞく。

植林に囲まれた東野(とうの)峠で、ランチタイムとする。
立ち止まると、少し涼しく感じるが、まだまだ手袋不要、シャツは2枚の姿で十分。

峠を下っていくと、山城のような豪華な石垣がみえる。東野集落跡である。

次々に石垣が出てくる中を下っていく。
数戸が朽ちた廃屋となって残っている。大量の酒瓶が散乱している。

ここにはかつて、筏師を泊めた旅籠もあったようだ。
木材を新宮から江戸に運ぶと、その価格は10倍になったそうだ。
紀伊国屋文左衛門も千石船で熊野杉や尾鷲桧を運び、成功したという。
危険が伴う仕事の筏師も、給金は高く、学校教員の5~6倍の収入があったという。
新宮で1週間ほど遊んでから帰る筏師もいたそうだ。

「筏師の道」は、きれいに残っていて歩きやすいところと、崩れかけて歩きにくいところが
混在している。続いて、固定ロープの難所を注意深くトラバースする。

炭窯跡。比較的、きれいに残っている。

古道は、石垣が積まれ、しっかりした造りになっている。
単なる筏師の「帰り道」ではなく、この道を使って、木材を運んだりしていたのだ。

これまで展望には恵まれなかったが、初めて、北山川の流れを見下ろせる。
筏を流していた時代は、上流にダムはなく、もっと水量が多かったという。

合川(たちあごう)にかかる吊橋の手前には、入山者カウンターが設置されている。

吊橋を渡る。濡れると滑りやすい床板だが、この日は乾いていて安心。
橋の上から見下ろした渓谷は、迫力そのもので、直下の淵は、吸い込まれそうに深い。

吊橋の両端には、トロッコ軌道の線路が放置されている。
ここににトロッコ軌道が敷かれていた時代があったのか。非常に興味深い。

足元にキッコウハグマの花。この時期は、花を見ること自体が少なくなるので嬉しい。

古道は、石垣を高く積んで造られた箇所も多い。

見上げると、立合川にかかる国道169号線の立派な橋。

ふたたび、北山川の流れが見下ろせるポイントがある。
流れが逆流しているように錯覚しそうになる。

まるでケーブルカーの駅の跡のような平地が現れる。「寸検所」跡である。
木場道で運ばれた木材は、ここで役人によって本数、長さ(サイズ)を計測され、
石高として集計された。
すぐ横の急斜面に、細い丸太を束ねてつくったスライダー「スラ(修羅)」に木材を滑らせ、
北山川に落とした。これを「スラ落とし」といい、各所にこのようなものがあったという。

有蔵集落跡の石垣。
昭和60年頃まで1軒が残り、お弁当持参で郵便配達の人が来ていたという。

大谷の滝。かつてはこの滝のすぐ上にも、修験の行場があったのではないかという。

小松茶屋跡。
五右衛門風呂の跡、便器、ヤカンや陶器の皿、建物の土台などが残る。
2階建てだった建屋は、新宮市内に移築されているらしい。

国道の小松橋へ上がり、展望を楽しむこともできるが、この日は下の林道に下る。
最後にもう一度、北山川の流れが見えた。両岸が切り立った岩壁だ。

林道から、赤い実を下げたイイギリが見えた。

ともちゃんが回送してくれていたクルマに戻り、道の駅おくとろへ。

道の駅おくとろには、筏の実物大模型が展示されている。
物産店には、北山村名物のジャバラの加工製品がいっぱい。
15時以降は、温泉もオープンする。この日は時間の関係で温泉は割愛した。

長く地元の人々の産業基盤となっていた筏師の道。
時のうつろいを感じつつ当時の面影を求める、ノスタルジックな再発見の山旅だった。

 

2025年11月8日(土) [敦賀]岩籠山へ、駄口コースからブナ美林を楽しむ!!

■メイン写真
インディアン平原から見た敦賀湾と西方ヶ岳

■今回のコース
駄口登山口→三角点「奥野」→展望地→(ブナ林)→インディアン平原→岩籠山→
(往路を戻る)→三角点「奥野」→駄口登山口

M社の登山企画で、敦賀三山の一つ、岩籠山へ、一般的な駄口ルートを歩いてきた。
先月、徒渉が連続する市橋ルートを歩いたが、今回は紅葉、黄葉が楽しめそうだ。

マキノ駅からクルマで駄口登山口へ。すでにクルマが10台ほど停まっていて、
この季節の人気ぶりがよくわかる。

序盤から急坂。
このルートは、進むにつれ、植生が刻々と変わっていく点がおもしろい。

植林帯はすぐに抜け、雑木林となる。
足元にはオヤマリンドウやセンブリ(写真)が咲いていた。
ここのセンブリは、花弁が4枚のものが割合、多い。

ソヨゴの実。秋を感じる。
しかし、この日の気温は登山口で15度あり、登っていると汗がき出る。

アカガシなど照葉樹が目立つ小尾根に出ると、一旦、急登が緩む。
三角点「奥野」を経て、一本道を行く。

コナラなどの落葉広葉樹林となり、短い急坂と、ちょっとした岩場が出てくる。

シロモジの黄葉が目にまぶしいくらい。

タカノツメも、負けじと鮮やかな黄色に輝く。

やがてブナがぽつぽつと現れてくる。コハウチワカエデなどとともに、
落ち着いたオレンジ色の空間を作り出していた。

東から北側が大きく開ける。横山岳、金糞岳、伊吹山など「滋賀県の屋根」が見える。

間もなく主稜線に出ようかという急坂で、紅葉の競演に見とれる。

ヤマブシタケを発見。

主稜線に乗ると、そこはブナの純林が広がる。
黄葉の盛りは、少し過ぎているといった感じか。
それでも、まだまだ美しい。

ブナの純林に入ると、不思議に涼しい風が吹く。
クマの痕跡は今回、全く見なかった。

ブナ林が途切れ、背の低い灌木帯に変わると、登山道も狭く、雨で浸食された深い
溝の状になっていて、行くたびに歩きにくくなっている気がする。
両側のササの稈を掴みながら登っていると、急に暑さを感じる。
振り返ると、ふたたび東から南にかけてのワイドビューが楽しめる。

ふたたび背の高いブナの純林に入る。すっと涼しい風が吹く。
広くなった平坦地で、計ったかのように正午になる。
ここで昼食タイム。ジェットボイルでお湯を沸かすお客さん、
山岳用保温ボトルの湯でカップラーメンをつくるお客さん、
それぞれに、秋の食事をお楽しみ。

ほんの少し上ると、今度はススキの穂がたなびく平原に出る。
誰が名づけたかインディアン平原。
花崗岩の奇岩が、ところどころにニョキッとそそり立つ。

奇岩は、鈴鹿山系のようでもあり、北アルプスの燕岳のようでもあり。
平原の先端からは、敦賀の町並みと、敦賀湾が意外に近く見下ろせる。
反対側には伊吹山と、輝く水面が印象的な琵琶湖が見えた。

岩籠山の山頂に到着。ここも360度の眺望を誇る。

遠く白山の姿も拝めた。

さっきまでいたインディアン平原を鳥瞰する。
西側に目を転じれば、野坂岳、南に高島トレイル前半の尾根が連なる。
しばらく景色を楽しんで、ゆっくりと往路を戻った。
帰りは、太陽が傾きかけて、光が横から入るようになってくる。
ブナ林は、また違った美しさを見せてくれていた。