
■メイン写真
安堵山と黒尾山の間、林道が接するところで幕営する
■今回のルート
5/30(土) 丹生ヤマセミの郷→果無山脈登山口→和田ノ森→安堵山→林道分岐[幕営]
5/31(日) 林道分岐→黒尾山→冷水山→カヤノダン(カヤの壇)→公門ノ崩→公門谷ノ頭→
筑前タワ(越前タワ)→ミョウガタワ→ブナノ平→ブナの平峰→石地力山→
果無山→果無峠→観音堂→山口茶屋跡→天水田→果無集落⇒十津川温泉・ホテル昴[泊]
6/1(月) ホテル昴
和歌山県田辺市龍神村と、奈良県十津川村桑畑を東西に結ぶ果無山脈の縦走路は、
そのロマンあふれる名前がハイカーの心を惹きつけてやまない。
おだやかな稜線はブナ、ヒメシャラ、カエデ等の美林に覆われ、たまに眺めが開けると
紀伊半島の重畳とした山並みが、それこそ果てしなく続くさまが見てとれる。
果無山脈を縦走するには、特に龍神村側の交通の便が悪く、通常は2台のクルマを
回送しておく必要がある。
さらに、よほどの健脚でない限り、途中で1泊、幕営の必要がある。
今回は、ともちゃんとのダブルガイド体制をフル活用。
まずはともちゃんがお客様を引率。Mr.Dashはクルマに幕営装備を載せたまま、
林道と登山道が接する場所まで回送。そこで幕営し、翌朝はMr.Dashがガイドを
担当し、ともちゃんがクルマを果無集落に回すことで、幕営装備を持たずに
縦走できるようにした。

丹生ヤマセミの郷を出発。20分ほど、村落の舗装道を登る。

カキノハグサが咲いていた。

果無越の登山口。

和田ノ森へ向けては、最初の991mピークまでは、ひたすら、きつい登りが続く。

ギンリョウソウ。

自然林をバックに、静かに和田ノ森のピークに到着。
スタート地点から標高差で約600m、登ってきたことになる。

アセビが茂る尾根道などを40分ほど歩くと、北側がしだいに開けてくる。
やがて、伐採地の向こうに牛廻山のある東西の尾根と、その奥に大峰山脈が姿を現す。

小ピークを幾つか越えながら、安堵山に到着。
和田ノ森から約2.5kmだが、お客様は、ひたすら長く感じたとおっしゃる。
安堵山は、南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・護良親王が幕府に追われた際、ここまで
来れば敵は来ないだろう安堵したと伝わる山だ。

15:20頃に、幕営地に到着。
先回りしておいたクルマから装備を出して、準備を始める。
テント泊は初めてという方もおられ、設営方法が異なる新旧のテントを、レクチャー
しながら張っていく。

夕食を済ませ、夕焼けの空を眺め、19:30過ぎにはテントに入った。
深夜にシカの叫び声で起こされたが、おおむね、快適な夜だった。
翌朝、4:00起床。テントには朝露はまったく着いておらず、撤収は楽だった。
道具類はクルマに積み込み、機動的な日帰り装備だけで、5:30に出発する。

尾根道を歩き始めると、枝ぶりのよいブナが目につく。

1時間ほどで、黒尾山に到着。展望はない。

北側斜面は伐採の痕跡がある。その後、植林されておらず、若い落葉広葉樹が育ち
始めているが、錆びたワイヤーや機械類が転がっている。

冷水山に到着。北側は絶景。南側は、アセビが育ってきて、以前よりは眺めが悪く
なっていた。

心あたたまる標識。
冷水山を出てしばらくして、雲が厚くなってきたと言ってたら、ともちゃんから
ショートメッセージが入った。
天気予報には出ていなかった、小さな降水帯が迫っているという。
引き返すことを想定し、クルマはまだ幕営地で待機してくれているという。ありがたい。
こちらでも急ぎ、雨雲レーダーを確認すると、小さいが、赤色表示の雲が迫っている。
戻っても、予定通り進んでも、30分ほどは豪雨に遭いそうだ。しかし、そのあとは
雨はやみそう。ということで、レインウェアを着こんで、予定通り先に進むことにした。

1時間弱で、カヤノダン(カヤの壇)の広いピークに到着。
雨雲はエネルギーを使ってしまったのか、レーダーには黄色い表示に変わり、小さく
なっている。よし、いい傾向だ。

公門ノ崩(くもんのつえ)は、南側が大きく崩れている場所。
雨雲はさらに弱まり、しか、若干南に逸れてくれたので、雨に遭わずに済んだ。

北東へ30分ほど登ったピークが、公門谷ノ頭である。
標識は「公門崩」ノ頭となっているが、昔からの呼称のあおり、地形的にみても
公門崩を詰めたところではなく、公門谷を詰めたピークなのである。
実際、昭文社の古い地図には「公門谷ノ頭」となっている。

標識はないが、カシ尾谷ノ崩。こちらは崖ではなく、風化による崩壊が進む。

ここからしばらく、ブナの巨樹が続けてみられる。

「筑前タワ」は、以前は「越前タワ」とも書かれていたが、真偽のほどは?

ミョウガタワ。ここも気持ちのいいところ。
10:20、昼食タイムとした。朝食が4:40くらいだったから、ちょうどいいくらいだ。

登山道に、鳥の巣が落ちていた。

縦走を通じ、何度かヤマツツジを見かけた。これがいちばん、花がよくついていた。
アケボノツツジやシロヤシオは完全に終わっていた。

かつてブナの平と呼ばれていた、ブナ樹林の平坦地を左に見送ると、約100m先の
小ピークに出る。茶色の標識に「ブナの平」と書かれているが、大きなブナはなく、
南側は切れ落ちていて、とても「平」と名付けられるような地形ではない。
隣に私製の山名板がかかり、こちらは「ブナの平峰」とあり、こちらのほうが
信憑性が高いと考える。

ブナの平峰のすぐそばから、熊野川の大きな蛇行が見下ろせた。

この長大な縦走路中、岩場はほとんどなく、固定ロープの難所も皆無なのだが、
少しだけ岩場っぽい場所がある。

石地力山ピークの直下から、これまで歩いてきた尾根が見える。
ここまで、よく歩いてきたものだと、自分を褒めたくなる一瞬。

石地力山。ここで正午のサイレンが鳴り響くのを聞いた。
昼食をとっくに済ませたので、「え?まだ正午なの?」といった感じ。

1072mピークを経て、果無山に到着。ここで少し長めの休憩をとった。

ほんの少しで、果無峠に到着した。崩れた宝篋印塔が印象的だ。
ここで熊野古道小辺路に合流だ。

反対側には、新旧の標識が乱立する。
ここからも、地形的には果無山脈の尾根は東へ続き、871m三角点を経て二津野ダムに
収斂していくが、登山道はない。

小辺路を下っていくと、蕨尾の橋など十津川温泉周辺が垣間見えた。

観音堂に到着。簡易トイレブースが3つあり、冷たい水も引かれている。

山口茶屋跡。石垣が残り、その上段、下段が平坦地となっている。
幹の形がぐねっとした杉の巨木が数本あるのは、防風林だったそうだ。

天水田。
山口茶屋の人たちが、この場所で天水だけを頼りに米づくりをしていたという。
十津川村では、そもそも米を作れる平坦地は極端に少ない。

歩きにくい石畳の道。草鞋の時代は、このほうが歩きやすかったのだろう。

舗装道に下りてきた。
ここは十津川村営バス「小辺路登山口上」バス停があるが、毎週月曜に2便しか運行
されていない。

モンキアゲハ。

果無集落。ポスターになったりして、有名になった場所。

2日間で約25kmの長丁場を無事踏破し、ホテル昴に到着。
とっておきの温泉に入り、うれしい「後泊」をお楽しみいただいた。