Mr.Dashのぶろぐ館(新館)

関西の山々や日本アルプスが大好き。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅡ)、山岳ライターでもあるMr.Dashのブログです。Gooブログのサービス停止(2025/11)により、引っ越してきました!

2026年10月14日(水) [鳥取]三徳山三佛寺、「日本一危険な国宝」投入堂へ!

■メイン写真
役行者が「エイッ」と投げ入れたという、「懸造り」の投入堂

■今回のコース
第1駐車場→三佛寺受付案内所→本堂→かずら坂→くさり坂→文殊堂→地蔵堂→鐘楼堂→
馬の背・牛の背→観音堂→投入堂(遥拝)→(往路を戻る)→第1駐車場


某団体さんからプライベートガイドのご依頼をいただき、Mr.Dashとしては
3年ぶりに三徳山三佛寺の投入堂へ。
三佛寺は706(慶雲3)年、役行者が開山し、849(嘉祥2)年、自覚大師が創建した
天台宗の寺だ。
投入堂は、遥拝するまでが大変な険路で、「日本一危険な国宝」とも言われている。
この日は、朝方まで雨が降っており、地面が濡れていて普段より難しくなっている
ことが予想される。

 

まずは、第1駐車場の東にある三徳山遥拝所に立ち寄る。

 

備え付ける双眼望遠鏡を覗くと、投入堂が正面からアップで見える。
「あんなところまで行けるのか」と、御一同、驚きのご様子。

 

受付案内所で、まず本堂までの拝観料400円を払い、境内に入る。

 

途中の石段は、礫岩か砂岩でできているようで、経年変化で削れ、波打っている。

 

まずは本堂にお参りする。

これより奥の投入堂へは、登山遥拝事務所でさらに800円を支払い、白い輪袈裟を
肩に掛けていく。
険しい岩場を歩ける靴であるかのチェックがある。サンダルや、底がつるつるの靴では
入山を断られる。どうしてもという人は、ここでわらじを購入できる。
また、木の根道が多いのでストックの使用も禁じられている。まあ、そもそも急峻な
場所ばかりなのでストックが活用できそうな場もない。

 

巨大な杉の間を抜けていく。

 

宿入橋を渡る。ここから、修行の始まりを意味する「峯入り」となる。

 

かずら坂は、木の根を頼りに三点確保で登っていく。

 

 

キバナアサギリが咲いていた。

 

重要文化財・文殊堂直下の岩場を登る。いったん止んでいた雨が、また降ってきた。
これは難しくなりそうだ。

 

懸造りの文殊堂が行く手に立ちはだかる。

 

文殊堂の横は、クサリ坂と呼ばれる難所だ。

 

靴を脱ぎ、お堂の周囲をぐるりと回ることができる。足はすくむが、絶景だ。
雨は弱いものの、これからの行程の安全を考え、持参したヘルメットを装着。

 

ナナカマドが赤い実をつけていた。

 

頑丈な鎖が付けられているが、慎重さが求められるトラバース箇所。

 

これも重要文化財の地蔵堂。こちらも靴を脱いで、ぐるっと回れる。

 

すぐ先が鐘楼堂で。釣鐘は1回撞くことができる。
釣鐘の重さは2トンもあるという。どうやって運んだのか不思議だ。

 

馬の背・牛の背の行場を行く。

 

半洞窟の岩屋が見えてくる。最初にあるのが、小さな納経堂。

 

その隣の岩屋には観音堂がある。
1648(正保5)年、鳥取藩主の池田光仲が再建したという。
この裏側は通り抜けられるようになっていて、胎内くぐりの行場となっている。

 

そして、ついに投入堂(左にひっついている小さなお堂は愛染堂)が見えてきた。
伝説では、706年、役行者が法力で岩窟に投げ入れたという。
2001年、奈良文化財研究所による年輪年代測定で、納経堂とともに平安時代後期に
建てられたことが判明した。

 

下山は基本的に往路を戻るが、一部はは登りと下りのルートが別々になっている。
地蔵堂からの下りは、登りにはなかった長い鎖場で、大きな足場がない。
当然、事故も起きている場所だ。
この日のお客様は、岩場の扱いに慣れておられないので、一人ずつロープで
確保して下ろす。

 

下から見ると、より迫力を感じる。

下山に時間がかかり、予定していた三朝温泉の入浴は諦めることに。
天気しだいで、行場はかなり難しくなる。
強い雨ならば寺側が通行止めにするので、この日のような小雨のときが
ある意味、一番危なくなるといえる。

2026年10月9日(金)~12日(月) [信越トレイル§5]11日、牧峠の絶景を楽しむ!

■メイン写真
朝のブナ林を歩く

■今回のルート
 9日 戸狩温泉民宿街の宿[泊]
10日 宿⇒星降るキャンプ場前→仏ヶ峰登山口→仏ヶ峰→小沢峠→鍋倉山→久々野峠→
   黒倉山→筒方峠→黒倉小池→関田峠→茶屋池→茶屋池はうす⇒宿[泊]
11日 宿⇒関田峠→梨平峠→牧ノ小池→牧峠→花立山→宇津ノ俣峠→幻の池→伏野峠
12日 宿⇒(帰る)

 

11日。
この日も宿のクルマで送っていただき、関田峠からセクション5を歩く。

 

積雪8mにも及ぶというエリア。ブナも湾曲している。

 

と思ったら、いきなりブナの巨樹の林に出たりする。

 

この日の展望は、新潟側が多くなる。
このすぐ先が梨平峠だ。

 

ホオノキの実。
関西ではホオノキは背が高いので、なかなか実をアップで見られない。

 

牧ノ小池に到着。
稜線上に、こんな池が存在することが驚き。

 

牧ノ小池にはクロサンショウウオが棲息する。
目が慣れてくると、次々に発見できた。水生昆虫もいろいろ見つけた。

 

牧峠の先にある花立山を見る。この日、名前が付いているピークはここだけ。

 

牧峠に下り立つ。舗装道が横切っている。

 

牧峠から新潟側に20~30m、舗装道を進むと、新潟側の大パノラマが楽しめる。
イヌワシ狙いのバードウォッチャーたちが、大きなレンズを向けて待機していた。

 

柏崎市のほうまで見渡せる。これは米山(992m)。

 

黒姫山(889m)。あの有名なほうの黒姫山ではなく、柏崎市の低山。

 

一番奥に、薄く見えるのは魚沼方面。守門岳あたりが見えているのだろうか。

 

牧峠に咲いていたダイモンジソウ。

 

オオカメノキの赤い実。

 

改めて山道に入り、花立山を目指す。
ヤマブドウの完熟した実を発見。

 

アブラチャン。

 

花立山が近づいてきた。

 

ホコリタケがたくさん群れていた。

 

この日もカエデが美しい。

 

ナナカマドの赤い実と、新潟方面の眺め。

 

三角点が据えられた花立山の山頂に到着。展望はない。

 

15分ほど先で、スックと立ったブナの巨樹に目が釘付けになった。

 

宇津ノ俣峠は、鍋倉高原側への分岐。

 

幻の池。名前は幻でも、意外に大きい。
畔で水面を眺めながらゆっくり休憩したかったが、あいにく道幅は狭く、
しかも日なたで暑かったので、少し先の木陰で休んだ。

 

⑤-12標識の少し手前で、またもや新潟側の眺めが開ける。

 

ツキヨタケをみつけた。

 

その近くにヒラタケ。

 

これはムキタケかなぁ?
ツキヨタケとも、ヒラタケとも少し違った。

 

ぐにゃぐにゃしたブナの幹や根をくぐったり、越えたりしながら進む。
これがずっと続くので、案外疲れてくる。

 

菱ヶ岳を望む。信越トレイルのセクション6から新潟側に寄り道する形で
この山に登れる。

 

この日のゴール、伏野峠に到着。
幕営縦走者のために、ペットボトルの水が無料で得られる。
太っ腹!! これはうれしい、画期的な取り組みだ。

 

伏野峠にあった信越トレイルの説明看板は、冬の雪の重みで地面にめり込んで
しまったという。すごい。

峠に着いて、ほんの5分ほどで、宿からのお迎えのクルマがやってきた。

2026年10月9日(金)~12日(月) [信越トレイル§4]10日、仏ヶ峰~関田峠、ブナ林に陶酔!

■メイン写真
稜線から新潟方面を鳥瞰。日本海が見えた!!

■今回のルート
 9日 戸狩温泉民宿街の宿[泊]
10日 宿⇒星降るキャンプ場前→仏ヶ峰登山口→仏ヶ峰→小沢峠→鍋倉山→久々野峠→
   黒倉山→筒方峠→黒倉小池→関田峠→茶屋池→茶屋池はうす⇒宿[泊]
11日 宿⇒関田峠→梨平峠→牧ノ小池→牧峠→花立山→宇津ノ俣峠→幻の池→伏野峠
12日 宿⇒(帰る)

昨年に続き、秋の信越トレイルの続き、10日にセクション4、11日にセクション5を
歩いてきた。
今回はみごとな晴天に恵まれ、秋空に輝くブナの黄葉を思いっきり楽しんできた。

 

10日。
宿のクルマで送っていただき、星降るキャンプ場前(とん平ゲレンデ下)からスタート。
いやー、抜けるような青空!!

 

しばらくゲレンデを歩き、リフトトップ横の信越トレイルの標識から樹林帯に入っていく。

 

いきなり、色づき始めたブナ林の急登だ。

 

ヤマナメクジを発見。

 

信越トレイルのロゴマークが入った標識が要所にセットされている。

 

鮮やかな黄色がまぶしい。

 

仏ヶ峰手前の1139.8m三角点。
YAMAPやヤマレコなどでは、ここが仏ヶ峰のピークとして表示されている。
しかし、信越トレイルクラブが発行する公式マップでは、少し北にある1146m
ピークを仏ヶ峰として記載している。どちらのピークにも山名表示板はない。

この謎を問い合わせてみた。
1139.8mの三角点から、1146mのピークにかけての尾根上には、かつて仏様を祀った祠が
あったことから、一帯を「仏ヶ峰」と呼ぶようになったと考えられるとのこと。
信越トレイルクラブでは、明確な山頂は存在しないとしながらも、各種文献の表記に基づき、
尾根上で最も標高の高い1146mのピークを「仏ヶ峰」とするのが妥当としている。
古くは花園寺という寺があったともいう。
なお、公式マップに記載されている道標④-4も、実際には1146mのピークから約70m南の
尾根上に位置しているという。
実際に歩く場合、留意したい。

 

尾根道とはいえ、樹林の中を歩くことが多いが、たまに展望が開ける。
はるか先に、なだらかな山容の鍋倉山が見えた。

 

さらに30分ほで進むと、遠く菱ヶ岳、三方岳、天水山など信越トレイル北端の稜線が
見えた。

 

大きなイワカガミの葉が紅葉し始めていた。

 

ブナ林は、ときに積雪により根曲りし、背丈も低くなるが、場所によっては
風向きなどが変わるのか、スックと直立した美しい群落を形成しているのが面白い。

 

ヤセ尾根から、長野県側の絶景を楽しむ。

 

カエデの紅葉も、目に痛いほど鮮やか。

 

鍋倉山に到着。今回の行程では最高点となる。
壊れた石の小祠が残る。

 

鍋倉山でランチタイム。宿に用意して頂いたおにぎり弁当が美味い。

 

久々野峠を過ぎる。久々野峠は、巨木の谷への分岐だ。
関西よりもサイズが大きいホオノキの葉。

 

ツノハシバミの実。
ハシバミといえば、その西洋種はヘーゼルナッツとして知られる。

 

黒倉山の山頂。ひときわ大きな山名表示がある。

 

ミズナラの葉には、大きめのイクラのような赤い粒が付いている。
これはクヌギハマルタマフシ。虫こぶである。

 

黒倉小池に着く。小さな静かな池。

 

池の横は、筒方峠だ。上越市側の「みずばしょうの森」へ分岐する。

 

ブナの実がたくさん落ちていた。

 

関田峠へ続く、美しいブナ林。

 

本日のゴール、関田峠に到着。舗装林道が横切っている。
昔から交易の要所となっていた。
越後からは食塩、魚、米、石油、酒などが信濃に運ばれ、
信濃からは紙織物、大豆、雑貨などが越後に流れたという。
また、峠越えには、これらの運搬を担う「牛追」「馬子」という職業があった。

宿のクルマが迎えに来てくれるのは、少し下の「茶屋池はうす」。
舗装道をそのまま下るのもいいが、茶屋池を周回することにした。

 

湿原の近くにはサワフタギの群落が、目立つ青い実をつけていた。

 

茶屋池。交通・交易の要所だった関田峠の直下にあり、湖畔に茶屋があった
ことからこの名がある。信州側に堰があったので、人工の池のようだ。

 

茶屋池はうすに到着。無人だが施錠されておらず自由に入れる。
中に入ると、清潔な室内。信越トレイルの写真などが展示されている。
左奥には別棟でトイレもあり、ありがたい存在だ。
宿のクルマを待つ間、ゆったりとして時間を過ごした。

2026年10月6日(火) [環境省主催ツアー]大台ヶ原、通常は入れない特別なエリアを歩く!

■メイン写真
某所で見つかった、トロッコの線路の残骸

■今回のルート
大台ヶ原駐車場→(東大台)→トロッコ軌道跡→防鹿柵内見学→インクライン跡→
(西大台)→大台ヶ原駐車場

環境省近畿環境局の主催による、『神秘の森 荘厳の山 大台ヶ原を歩く』、
「登録ガイドと歩く特別なツアー(歴史/自然再生見学ツアー)のガイドを担当した。

環境省の特別な許可のもと、通常は入れない、東大台/西大台の歩道外エリアを
歩くというもの。
7月の下見を経て、環境省や上北山村関係者の尽力で、今回初めて実現した行程だ。
募集をスタートして、一瞬で定員に達したらしく、関係者もビックリの出足と
なった。

 

朝、大台ヶ原駐車場に着いたときの気温は14度。一面の霧、冷たい北風。

 

今回、最終的に西大台に入るので、ビジターセンターで事前レクチャーを受ける。

 

東大台の某所から、周回遊歩道を外れ、約100年前にトロッコ軌道があった場所に
入る。大台ヶ原は当時、四日市製紙による大規模な伐採が行われていた。

 

トロッコ軌道跡は任務を終えたのちは完全に放置。いまでは幾つか倒木もある。

 

木材の積み替え場所と思われる場所には、レールの継ぎ目に使うジョイント部品と
思われる鉄材が落ちていた。
山から冷たい風が下ろしてくる。これは稜線に出たら吹きっさらしだろうと予想し、
少し早い時間だが、風を避けて昼食タイムをとった。

おだやかな地形の稜線に出ると、案の定、冷たい風がビュービュー。
再びトロッコ軌道跡のような地形が確認できる。

 

古い空き缶が見つかった。プルタブがなく、缶に直接穴を2つ開ける時代のもの。
ここが作業場として使われていたことがわかる。

 

稜線上には、平成28年に設置された防鹿柵のゲートがあり、今回、特別にカギを
開けて中に入る。

 

防鹿柵内は意外にもササの生育はまばらで、その背丈も低い。
そのおかげか、いろいろな木の幼樹が育ち始めている。これはブナ。

 

これはシロヤシオ。ウラジロモミやカエデの幼樹も多数確認できた。
長い時間がかかるが、自然の森がしっかり回復してくれたらありがたい。

 

稜線の向こう側は、まっすぐに伸びたインクライン跡。
谷筋から、尾根上まで木材を引き上げ、先ほど歩いてきたといろにあったトロッコに
載せ替えたと考えられる。

 

インクライン跡に、碍子が転がっていた。直径数ミリの錆びたワイヤーも並行している。
電気の供給用か、電信用か。

 

丸い金属のパーツ。これは何に使われていた部品だろう?

 

コケが美しい。古きよき大台ヶ原の雰囲気が残っている。
100年前に伐採されたとはいえ、自然のたくましい回復力を感じる。

 

坂を下り、インクライン跡の下のほうには、頑丈な金属ケーブルがぶら下がっていた。

坂を下りきると、沢の手前に、人工的な平坦地がある。木材をインクラインに積み替えた
集積所の跡と思われる。

 

古いコンクリートから、頑丈な鉄杭が何本も出ている。機動設備の跡だと思われる。

 

この平坦地では、「DAINIPPON」の刻印がみられる、割れたガラス瓶が落ちていた。
戦前の大手ビール会社「大日本ビール」はアサヒビールの前身で、戦後、会社が分割された。

 

ハンドクリームか、オロナインか、薬瓶のようなもの。
レンガや、酒瓶・茶碗のカケラなども散乱している。

 

平坦地の裏側には、野面積みの石垣がみられる。

 

慎重に沢を渡り、西大台エリアに入る。対岸にも茶碗やレンガなどが散らばる。
長さ50cmくらいのレールも見つかった。
これは滑車に使われた部品だろうか。

 

西大台の周回路に戻り、もう1か所、作業小屋があったらしい平坦地を見学。
ナゴヤ谷の美しい流れに癒される。

 

あとは周回路を歩き、駐車場へ向かう。

 

三叉路には、このたび新設されたクマ除けの鐘。
この日、同行してくださった環境省の方が設置されたものだという。お見事、拍手!!

 

大台ヶ原はキノコの季節。ツキヨタケの群落があった。

ビジターセンターに戻り、ご参加の皆様にはアンケートにご協力いただく。
「あなたの知らない大台ヶ原」のキャッチコピーどおりの感動を得られただろうか。
駐車場の気温はなんと10℃。売店前の自販機で買ったホットコーヒーがありがたかった。

2026年10月4日(日) [台高]大峠から赤ゾレ山の硯池(ハート池)をロング縦走!

■メイン写真
今回の目標、赤ゾレ山直下にある、ハート形の硯池!!

■今回のルート
大峠(高見峠)→陣ヶ平→建設省三角点→雲ヶ瀬山→ハッピノタワ→ハンシ山→伊勢辻
→伊勢辻山→赤ゾレ山→硯池→(往路を戻る)→高見峠(大峠)

 

天気が心配なこの日。
午後から少し崩れる様子だったが、当日朝の雨雲レーダーでは、ギリギリ
もちそうな予感も。まずは計画通り大峠へ向かい、出発。
頭の中では、どのタイミングで引き返すべきか、引き返すとすれば、
このあとの時間、お客様をどこにお連れしようか、いろいろ考えていた。

 

陣ヶ平の古い標識。「1968年」と書かれているので、60年も前に付けられたのか?
スタートの大峠で気温15度。尾根筋は冷たい東風が流れている。

 

続いて、普通の三角点とはどうもデザインが異なる「三角点」を通過。
もちろん、現在の地形図には、ここは三角点とはなっていない。

 

深い霧の中、最初のピーク、雲ヶ瀬山に到着。展望はない。

 

切通しには、東から強烈な冷風が吹きつけていた。寒い寒い。

 

ハッピノタワ。
珍しい地名で、由来が知りたい。「法被」と関連性があるのかな?
タワは「垰」。たわんでいる地形で、峠やコルも同義だ。

 

三重県側が伐採されているところを通過。
前回、ここを歩いた時は直射日光が暑かったなぁ。

 

クマさんの樹皮剥ぎ痕。まあ、数は少ないが棲息エリアではある。

 

ハンシ山は、とっても沁みなピークだ。

 

標高を稼ぐにつれ、立派なブナやミズナラが出現する。

 

奇妙な枝ぶりの樹も。

 

急登一番、伊勢辻に突き上げる。

 

道中、いろいろなキノコが出ていた。

 

伊勢辻山に到着。

 

霧は少し薄くなったが、絶景を楽しめるというほどではない。

 

カエデ、ブナ、ミズナラなどの美しい尾根道を行く。

 

ヤマハッカが咲いていた。

 

最後のピーク、赤ゾレ山に到着。遠かったなぁ~!!

 

本来は台高稜線や薊岳の絶景が楽しめる場所だが…

 

今回のゴールである、赤ゾレ山の直下にある硯池。
ハート形の池としてSNS時代の到来とともに人気が出たが、どこからアクセスしても、
それなりに歩かねばならない。
写真を撮っっていたら、とうとう雨がポツリポツリと落ち始めた。

 

池のほとりにはスギゴケが美しい群落を形成していた。

下山は、北ルートを忠実に戻る。
今回はロングルート。それなりのペースで歩かなければ日が暮れる。

 

16:10、がんばっていただいた甲斐あって、無事、大峠に帰着。

帰りに東吉野村のマルシェに寄って、熱いコーヒーや大福などで、ようやく
人心地。たまには硬派な登山もいいもんだ。


[この日、見かけたキノコ]

 

■名称不明

 

■ハナビラタケ

 

■ホコリタケ

 

■オオオニテングタケ

 

■アカハツ系のきのこだと思うが…

 

■ハナイグチ

 

■ナラタケ?

 

■腐りかけのマイタケ

2026年10月3日(土) [六甲]船坂谷から石の宝殿へ、ルートファインディングを楽しむ!

■メイン写真
船坂谷にかかる川上ノ滝

■今回のルート
舟坂橋バス停→老ヶ石→川上ノ滝→カーブNo112→石の宝殿→蛇谷北山→土樋割峠→
東おたふく山→東おたふく山登山口バス停


六甲山系で北側から延びる各ルートは、ハイカーの姿が比較的少ない玄人好みの
ルートが多い。この船坂谷も、川上ノ滝を過ぎると踏み跡が薄くなり、
ルートファインディングの楽しさが味わえる好ルートだ。

舟坂橋バス停でバスを降り、船坂川に沿って林道を行く。

 

人家がなくなると、まず沢を2回渡る。2度目はコンクリートの沈下橋が流されていて
徒渉することになる。

ガマズミの実が熟していた。山はもう秋。

老ヶ石。
この岩を伐り出そうとした職人が、その瞬間に姿を消してしまったとか、
岩から赤い血が出てきたとか。

 

老ヶ石の向かい(山側)には、玉姫大神を祀った岩屋がある。
玉姫大神は、一般的には良縁の神、安産の神などとされる。

 

シラヤマギクが咲いている。

 

このルートでは、砂防堰堤(これは船坂第3堰堤)を幾つか巻き越えるのが大変。

 

川上ノ滝に到着!!
末広がりの美しい滝だ。

 

川上ノ滝から先はルートが不明瞭になり、ルートファインディングを
しながら歩くことになる。

 

難所は、やはり堰堤の高巻き。
足場は豊富で、ホールドも木の根などシッカリしている。ちゃんと注意を払えば、
見かけほどは難しくない。

 

思いがけず、アケボノソウ群落がを発見。

 

コウヤボウキ。

 

アキチョウジ。

 

標高700mを超えても、まだ堰堤の巻きがある。

 

最後は笹薮を分けながらの急登を経て、芦有ドライブウェイの112番カーブの
ところに出る。

 

クルマに気をつけながら、車道を少し西へ進む。道路を渡って、石の鳥居をくぐる。
鳥居の額には、「石宝殿 白山の宮」とある。来期には六甲山神社という。
白山信仰の神社、神功皇后の三韓征伐にまつわる伝説、古代の磐座信仰や
六甲修験との関係、江戸時代の麓の2つの集落による石の神殿の建設エピソード
など、伝説に富む場所だ。

 

社務所の前からは、北摂方面が大きく開ける。
池田の五月山、園田競馬場、伊丹空港、吹田の万博記念公園、大阪市街のビル街、
遠く生駒山など、この日はワイドに見渡せて気持ちよかった。

 

境内の広場でランチタイム。
ここから蛇谷北山、土樋割峠へ続く登山道が延びる。
六甲アイランド、ポートアイランド、神戸空港などが眼下に望める。

 

一気に下り、ササに囲まれた蛇谷北山へ。展望は皆無だ。
六甲山系には、クマはもちろんシカも定住していないので、森の下草が保たれている。

 

土樋割(どびわり)峠で、林道を横断する。
珍しい地名の「土樋割峠」。その由来を、改めて調べてみた。
1827年(文政10年)の干ばつに困った芦屋川流域の芦屋・打出の村人が、住吉川の水を
この峠を経由して、土の樋で芦屋川に水を流そうとしたところ、水が減ってしまった
住吉の村人が土樋を破壊したという事件があったそうだ。

 

東おたふく山に到着。
ここからもオーシャンビューが楽しめる。

 

東おたふく山から5分ほど下ったところも絶景ポイント。

 

どんどん下り、蛇谷を渡ると、土樋割峠か続く舗装林道に合する。

 

東おたふく山登山口バス停に到着。バスが到着する15分前にうまく着けた。


[この日、見かけたキノコたち]

 

■オニフスベ?

 

■オニテングタケ?

 

■ホウキタケ

 

■コテングタケモドキ?

2026年9月30日(水) [弘法トレイル]天狗倉山、高城山、武士ヶ峯をお手軽に巡る!

■メイン写真
霧の中、静寂に包まれた武士ヶ峯の山頂

■今回のルート
九尾林道駐車スペース→ゲート→徒渉→弘法トレイル出合→天狗倉山→弘法トレイル出合→
狼越→高城山→西之谷林道出合→武士ヶ峯→西之谷林道出合→西之谷林道駐車スペース


吉野と高野山(金剛峯寺)を結ぶロングトレイル「弘法トレイル」は、大部分が植林の中を
通るため、タイムトライアルに関心が集中しているトレランの人々には向いているかも
しれないが、多様な自然を楽しみたいハイカーには敬遠されがち。
弘法大師が実際に通ったのはバス道の「すずかけの道」の方なので、歴史的にも
弘法大使と直接の関係がない、少し地味な縦走路である。

とはいえ、主だったピークの中で、クルマを回送すれば日帰りで歩ける区間もある。
今回、天川村側からの林道をフル活用し、天狗倉山、高城山、武士ヶ峯の3座を
踏んできた。

クルマで九尾(つづらお)林道を進んでいく。今朝さっきまでの雨で、本来、滝がない
場所に、臨時の滝があちこちにできていた。

 

九尾谷も、絶賛増水中である。

金属製の土管が放置してある、道幅が少し広くなっているところまで、木の枝や
落石を整理しながら進めたが、その先は道路上の落石がきつく、クルマはここまで。

 

しばらく林道を歩く。小池谷に入ってすぐ、林道にゲートがある。

ゲートから約250mあたりで、増水した小沢を飛び越え、急斜面の廃道に入る。

 

強烈な急登は、標高差で100mほど続く。
踏み跡が定かではない部分は、足の置き場所をうまく探して、数m単位で小さく
ジグザグを切って登ると負担が少ないのだが、まっすぐ大股に直登してしまうと、
すぐにふくらはぎが悲鳴をあげる。用心しよう。

 

傾斜が少し緩くなると、若いアセビのブッシュで歩きにくい尾根道となる。
これを突破し、弘法トレイルに合流する。歩きやすい、幅広の尾根道だ。

まずは右をとり、天狗倉山をめざす。

 

巨岩の脇を通っていく。

 

霧の中の天狗倉山。植林の中で、晴れていても展望は期待できない。
ここで昼食タイムをとったが、中くらいのサイズのスズメバチ(たぶんヒメスズメバチ)が
Sさんにホバリングして離れなくなったので、ひとまず退散。
もとの登山道を引き返し、少し広くなったところで改めて昼食タイムをとった。

 

さっき通ってきた分岐を過ぎ、快調に狼越も過ぎる。
この日のルートには、ほぼ岩場はないのだが、唯一、岩が詰まったところを越える。

 

尾根道の植林は、ほぼヒノキ。すぐ下が岩盤なので、根が表を這う。

 

高城山に到着、標高1111mのゾロ目の山。
霧が濃く、ムードはよいが、景色はゼロ。

 

山頂から10分ほど下ると、大きなブナが現れる。
この日の行程では貴重な自然林。

やがて、天川村側から作業林道が寄ってくる。
しばらくはこの道と絡みながら西へと尾根をたどる。
P949を越え、西之谷林道に合する。

 

カーブミラーのところから尾根に取り付くが、崩れた路肩の土砂を、この取り付きに
寄せて積んでしまったようで、そこにススキが茂り、取付点が分かりにくくなっていた。
なんとか裏から薮を分けると、明瞭な山道が出てきた。

 

最後の坂を登りきると、武士ヶ峯(北峰)の静かなピークに着く。

あとは西之谷林道に戻り、少し下ると、広くなった草地にお迎えのクルマが
待っていてくれた。
心配された雨には遭わずにすんでラッキー。終始、霧の中で、北からの風が涼しい
山行だったが、麓の天河大辨財天社あたりは時折晴れ、おだやかな天気だったようだ。


季節柄、いろんな種類のキノコが出ていた。
この日、見かけたキノコたち。名前はほとんど分からない。

 

■ハラタケの仲間かな?

■ウロコタケの仲間かな?

 

■これは、、、わからない・・・・
 傘の直径は7~8cm程度。

 

■ハナビラタケ

 

■タマゴタケ

 

■クヌギタケ?

 

■ヒメオニタケ?

■テングタケと、シロオニタケ?のセット。

 

■これもハラタケの仲間だろうか?

 

■またまたタマゴタケ

 

■ナラタケモドキ?

2026年9月24日(木) [加古川市・播磨町] 別府鉄道の廃線跡を歩く!!

■メイン写真
播磨町郷土資料館の裏手に保存されている、別府鉄道の車両

■今回のルート
加古川駅→野口駅跡→(松風こみち)→円長寺広場(圓長寺駅跡)→別府港駅跡→大中遺跡公園→
播磨町郷土資料館→(であいのみち)→土山駅


先日の三木鉄道廃線跡に続き、またまた必要に迫られ、今度は別府鉄道の廃線跡を
歩いてきた。こちらもノスタルジーあふれる廃線歩きとなった。

別府鉄道は、加古川市別府(べふ)町にある多木製肥所(現在の多木化学株式会社)が、
製品の化学肥料を全国へ輸送するために敷設した鉄道だ。
1921(大正10)年に野口線(3.6km)、1923(大正12)年に土山線(4.0km)が開通した。

もともと貨物輸送が中心の鉄道ということで、旅客輸送は二の次のような位置づけで、
1984年2月1日の全線廃止まで、レトロな車両が使われていた。
廃止当時は旅客輸送のみとなっていた野口線が1日10往復、土山線は4往復だったという。
今から思うと、乗っておいたらよかった。

加古川駅を出て、まずは旧高砂線跡をたどる。

 

現在は一般道路として活用されている。

 

加古川市役所を過ぎたあたりに、野口駅跡がある。

 

台車が展示され、朝から地元の方なのか、草刈りをしておられた。
こうして今でも大切にされているんだな。

高砂線に連絡する形で、別府鉄道野口線はこの駅からスタートし、
藤原製作所前駅→円長寺駅→坂井駅(1937年に遅れて設置)→別府口駅→別府港駅
へと結んでいた。

 

野口駅跡から200mほど先で、線路跡は遊歩道「松風こみち」として活用されている。

 

別府川を渡る、当時のままの鉄橋。

 

休憩所が設けられている。藤原製作所前駅跡らしいが、説明はない。

 

円長寺広場(圓長寺駅跡) に到着。
1931(昭和6)年、日本車輛製のガソリンカーで、1964(昭和39)年、三岐鉄道から
譲り受けた「キハ2」が展示されている。

 

現在も定期的にメンテされているようだ。

 

両妻面に付けられた荷台は、行商人が運ぶ鮮魚、野菜、自転車などを置くためのもの。

 

300mほど進んだ踏切跡。線路が残っている。

 

国道250号線をくぐり、休憩所(坂井駅跡)を過ぎると、ふたたび線路が残る
踏切跡がある。道中、歩ける範囲で線路があるのはこの2か所のみだ。

 

山陽電鉄・別府駅横のガードをくぐる。

 

終点の別府港駅付近は、パチンコ店とその駐車場となっており、その奥はイトーヨーカドー
などが入る総合ショッピングセンター「アリオ加古川」となっている。
かつて、別府港駅からは多木製肥所工場内へと引き込み線が続いていたという。

 

後半は、土山線を歩く。土山線は、別府港駅→中野駅→国鉄土山駅を結んでいた。
別府港駅から東北東へ。山陽電鉄の松ノ上東架道橋をくぐる。

 

しばらくは完全に一般道路となっていて、鉄道遺構の気配が全くない。
国道250号線を過ぎてしばらくすると左にコンテナが置いてあるのを見つけた。
最近まで、ここには貨車のワ124が置いてあった。
国鉄のワ3090を改造したものだ。ワ124は、どこに行ったのだろう。
川崎車輛工場前信号所跡は、現在の工場(株式会社浜田工業所)の構内にレールが残る。

 

大中遺跡公園に到着。
ここから、廃線跡は「であいのみち」として遊歩道になっている。

 

大中遺跡は1962(昭和37)年、播磨中学校の生徒3人によって発見された。
約10年をかけて発掘調査され、弥生時代後期の集落遺跡であることがわかった。

竪穴式住居などが幾つか、復元・展示されている。

 

公園の隣には播磨町郷土資料館があり、別府鉄道の在りし日の様子などが
展示されている。
資料館の裏には、車両が展示されている。ディーゼル機関車DC302、客車ハフ5、
そして貨車のワ124だ。ワ124は、ここに移設され、新たに3両目として連結されることに
なったのか。
この秋まで、この工事が行われていて、ワ124はブルーシートの向こうにあった。

 

DC302は、昭和28(1953)年、川崎車両の製造で、もとは倉敷市営鉄道(現水島臨海鉄道)で
使用。1966年に別府鉄道に譲渡されたもの。

 

廃線まで現役だった客車のハフ5は、車輪は4輪で貨車のような台車。
乗り心地はよくなかっただろう。
これは1930(昭和5)年、日本車輌製のガゾリンカー。神中鉄道(現相模鉄道)キハ10として
デビュー。エンジンが外されハ10となり、その後、三岐鉄道を経て、1959(昭和34)年に
別府鉄道にやってきた。

 

兵庫県立考古博物館を通り過ぎて、ふるさと橋を渡る。

 

圓満寺ご自慢の五重塔を観ながら、遊歩道は続く。

 

「であいのみち」には、古代から現代まで、主な出来事を表現したモニュメントが
設置されている。レールを曲げて造られた「タイムトンネルゲート」。

 

レールを斜めにカットして造られた、年代別のモニュメント。

 

ゴールの土山駅前には、BiVi土山というショッピングセンターがあり、
駅名標に似せた表示板がある。その下には線路を模したタイルが店内に向かっていた。
土山駅には、別府鉄道の痕跡は見当たらず、線路跡は自転車置き場になっていた。

2026年9月19日(金)~21日(月) [北ア]蓮華温泉から、ゆったり風吹大池へ!

■メイン写真
北アルプスで最も大きい山上湖、風吹大池。

■今回のルート
19日 白馬蓮華温泉ロッジ[泊]
20日 白馬蓮華温泉ロッジ→風吹大池入口バス停→(笹目尾根)→風吹天狗原→風吹山荘
    →風吹岳→小敷池の横→神ノ田圃下→科鉢池の横→風吹天狗原→風吹山荘[泊]
21日 風吹山荘→風吹天狗原→(笹目尾根)→風吹大池入口バス停→白馬蓮華温泉ロッジ


シルバーウイークの機会に、北アルプスで最大の山上湖、風吹大池を訪ねた。
今年は各地の湿原を訪ねているが、風吹大池の隣にも風吹天狗原という大湿原が
広がり、これまでの「北アルプス」の印象がガラッと変わるような印象的な風景を
楽しんできた。

蓮華温泉に前泊。久しぶりの訪問だ。

夕食時間までに、野天風呂に入ってきた。
蓮華温泉には4つの野天風呂がある。脱衣所などはない、ワイルドな湯だ。

三国一の湯。

 

仙気の湯。山岳誌「山と溪谷」の最新の10月号の表紙にもなっている。

 

すぐ横は噴気が立ち込めている。

 

女性優先の、薬師湯。一番上にあって、他から見えない位置にある。

 

黄金湯。

 

20日朝。心配された台風は進度が遅く、この日いっぱいは天気はもつようだ。

 

白馬蓮華温泉ロッジから、バス道を約1.8km戻った風吹大池入口バス停が
登山口だ。

 

のっけから標高差300mの急登だ。
まず驚かされるのは、ヒノキの巨木群。根っこがすごい。

 

厳しい登りだが、固定ロープや鎖が設置されるほどではない。

 

1時間ちょいで、笹目尾根に登りつく。

 

 

ミズバショウの群落が点在していた。
稜線とはいえ、年中、じめじめしているのだろう。

 

雪倉岳の勇姿。

 

ドロドロで歩きにくい尾根道をたどっていくと、湿原に出た。
背後は朝日岳から糸魚川へと延びる峰々。あの尾根を栂海新道が通っている。

 

イワショウブの花の痕。白い花が終わると、赤い実ができる。

 

スゲの仲間が色づき始めた湿原を行く。

 

千国揚尾根との分岐。
千国揚尾根は、かつて小谷村方面から蓮華鉱山などへの荷揚げに使われており、
この名があるらしい。風吹山荘のあたりは、その歩荷の中継基地だったという。
えらい長距離の荷揚げだ。

 

風吹天狗原。かなり大きな湿原だ。湿原を抜ける木道が続く。

 

風吹大池が見えてきた。なんという美しい光景だろうか。
後ろのピークは岩菅山。

 

風吹山荘が見えてきた。完全予約制の小さな小屋。

 

ウメバチソウがまだ咲き残っていた。幸運にも2輪だけ、残ってくれていた。

 

風吹大池には、一周できる周遊路がつけられている。
せっかくここまで来たので、歩かないわけにはいかない。
反時計回りで歩き始める。序盤は池のそばを歩く。

 

コイワカガミが1輪だけ、まだ残っていた。

 

風吹岳にも寄ってみる。

 

ベニナギナタダケ。

 

マイナーなはずの風吹岳への道は、意外にも木段が設けられていたりする。

 

山頂には、あずま屋が建っている。

頸城山塊の方角が開けているものの、雲が出ていてよくわからない。

 

風吹岳の直下には、小敷池がある。
風吹大池と並んでいるが、水位が明らかに異なり、こちらは少し低い。
火山湖の風吹大池には魚はいないが、小敷池は歩荷の先人が食料補給用にフナを
放流し、今も棲息しているようだ。フナがもってきた藻が生育し、風吹大池とは
異なって深緑色の水だ。

風吹大池の西側に回ってきた。こちらは池の水面から50mほど上がった小尾根を行く。

 

尾根道の東側の窪地に、もうひとつ小さな池がある。科鉢池だ。
こちらも深緑の水をたたえていた。

 

色づき始めたカエデ。10月初旬頃はどんなに綺麗だろうか。

 

翌日、台風の進度は遅く、雨に降られることなく元の道を戻れた。

下山後、もう一度蓮華温泉で入浴し、最後の最後まで癒しの山旅となった。


[この日、見かけた秋の実たち]

 

■ナナカマド

 

■ゴゼンタチバナ

 

■シラタマノキ

 

■クロマメノキ
 風吹天狗原の湿原には、背の低いクロマメノキが多かった。

 

■ツバメオモト

 

■ユキザサ

2026年9月17日(木) 三木鉄道(旧国鉄三木線)廃線跡を歩く!!

■メイン写真
三木鉄道の廃線跡は、サイクリングロードになっている

■今回のルート
JR加古川線・厄神駅→国包駅跡→橋梁跡→下石野駅跡→石野駅跡→西這田駅跡→別所駅跡→
高木駅跡→三木駅跡→本要寺→旧玉置家住宅→三木城跡→神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅


JR加古川線・厄神駅と、三木市を結んでいた三木鉄道。2008年4月1日に全線廃止となった
第3セクターの鉄道会社だった。現在、三木市側はサイクリングロード(歩行者もOK)に
なっている。
今回、必要に迫られ(笑)、この廃線を歩いてきた。

ところでこの路線、もとは播州鉄道という会社が明治の末から、現在のJR加古川線、
北条鉄道などの路線を開設していった。
その中で、厄神~別所間が1916年(大正5年)。別所~三木間が1937年(大正6年)に
開通した。加古川、高砂方面への貨物輸送がメインの路線であった。
その後、播丹鉄道に譲渡され、さらに1943年に国有化され、国鉄三木線となった。

しかし、三木電気鉄道(現在の神戸電鉄)ができて、神戸方面に乗る利用客の方が
多くなったため、三木線の存在感は薄れ、1985年に第3セクター方式で三木鉄道が
発足した。赤字はその後も改善されず、先述のとおり2008年に廃止となった。

JR加古川線・厄神駅のホームには、線路がなくなった旧三木鉄道の路線跡が見てとれる。

 

かつては同じ国鉄同士。加古川線とつながっていた痕跡も。

 

駅を出発してしばらくは、廃線跡そのものを歩くことはできない。
線路は残っていない。

 

駅から500mほどで、廃線跡は「ふれあい小径」として整備されている。

 

国包駅跡は、簡易な休憩所となっている。

 

このように駅の説明がある。当時の写真が示されていて、雰囲気がよく伝わる。

 

「ふれあい小径」は、500mくらいで終わっていて、先に進めない。
車道を迂回する。

 

回り道となったが、橋梁跡に到着。当時の姿が偲ばれる遺構だ。

 

堤防状の路線跡に上がってみると、当時の勾配標識が残されていた。
この先にあるはずの宗佐駅跡は、それと思われる場所に行ったが、駅の説明などは
なかった。

 

ということで、ふたたび車道を迂回。宗佐の交差点を渡る。
頭上を通るのは、東播磨南北道路だ。
この先の坂を上がりきったところで、加古川市から三木市に入る。

 

三木市に入って、電線の手前当たりで左の細道に入ると、最短距離で
廃線跡に戻れる。
廃線跡を振り返ると、工事中で、歩き抜けられないのは明白。

 

三木市側の4.8kmは、「別所ゆめ街道」として、サイクリングロードになっている。
起点には無料駐車場もある。

 

起点からすぐのところ、下石野駅跡。

 

当時の信号を見つけた。こうした鉄道遺構、萌える。

 

両側は田圃。コースとしては単調だ。
ここをかつて、蒸気機関車が貨物車両を引いていたのか…

 

「香の小径」の標識には、かつてのレールが使われていた。

 

踏切跡も、当時のものがそのまま残っている。

 

当時のホームが残る石野駅跡には、そこだけレールが敷かれたまま。
駅舎は新しく休憩舎になっている。

休憩舎の中にはスタンプと台紙が置いてあった。

 

石野駅跡から西這田駅跡までは、三木鉄道最長の駅間で1.7kmあるため、
途中に簡易な休憩所がある。

 

美嚢川支流の花尻川を渡る橋梁。
横から橋げたをみると、当時のものである印象を受けた。

 

西這田駅跡に到着。ここは駅の説明板のみ。

 

道路との交差点の北側に、レストラン&カフェの「I Tea HOUSE」があるが、
開店は11:00からということで、この日はパス。次回に寄ろう。

 

またまた勾配標識。
数字は消えているので、何パーミルなのかは分からないが、見た感じは平坦地。

 

1.1km歩いて、別所駅跡に到着。

 

ここも線路が残され、駅舎代わりに休憩舎がある。WCも清潔。

 

別所駅跡には、三木鉄道92年の沿革を刻んだ、立派な石碑が設置されている。

 

国道175号線の下をくぐる。

 

高木駅の説明板。民家の横だ。

 

最後は自転車用コースと歩行者用コースが分かれる。
廃線跡は舗装されておらず、歩行者用となっている。
それでも自転車の轍はいっぱいついていたが。

 

最後は、線路は残され、真ん中が簡易舗装となっている。
3つ目の勾配標識。

 

当時の入換標識が残っている!!
この先で線路はポイントで分かれ、終点の三木駅跡となる。

 

終点は、三木鉄道記念公園となっていて、地元のお年寄りがゲートボールを
楽しまれていた。子供用の遊具が列車の形だったのが面白かった。
当時の信号機が残されている。

 

三木駅跡の車止め。
オーバーラン事故は一度もなかったとの説明があった。

 

三木鉄道の旧三木駅舎を改築した、三木鉄道ふれあい館。
この日はあいにく休館日だった。

 

中を覗くと、当時の駅務室と窓口が!

 

あとは三木市の市街地を歩き、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅を目指す。
途中にあった旧玉置家住宅。
江戸時代の切手会所(現在の銀行)で、玉置氏はのちに三木銀行を設立した。

 

入館無料。鎧、蔵、座敷などを見学させていただいた。

 

三木城跡の入口には、ド派手な案内看板がある。
石段を登ると、ものの5分で三木城跡だ。

 

三木城は、15来期後半、別所則治が築いた。織田軍による「三木合戦」で、
羽柴秀吉がこの城を包囲し、兵糧攻めを展開。
別所方は、城壁の藁まで食べて1年10カ月をしのいだが、敢えなく降伏。
別所長治は家来や領民の命と引き換えに自刃した。

 

本丸跡からは、美嚢川の鉄橋を渡る神戸電鉄の電車が見下ろせる。

 

二の丸跡には、みき歴史資料館(入館無料)があり、じっくり見学した。
弥生時代の遺跡、三木合戦、三木飛行場、三木鉄道など、さまざまな歴史や、
三木秋祭りなど文化の情報が得られ、大いに勉強になった。

 

なんだかんだでクタクタになって、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅に到着。
電車に乗るとすぐに爆睡。首が痛くて目が覚めたら、終点の新開地駅の
手前だった。