Mr.Dashのぶろぐ館(新館)

関西の山々や日本アルプスが大好き。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅡ)、山岳ライターでもあるMr.Dashのブログです。Gooブログのサービス停止(2025/11)により、引っ越してきました!

2025年7月13日(日) [金剛山]難関ルートの丸滝谷へ、スリリングな渓谷を歩く!

■メイン写真
当ルートのクライマックス。上ノ丸滝

■今回のコース
石筆橋→(丸滝谷)→石ブテ東谷出合→下ノ丸滝→上ノ丸滝→中尾ノ背の出合→六道ノ辻→
太尾塞跡→(太尾道)→石筆橋


金剛山のノーマルルートでは最難関とされる丸滝谷ルート。
丸滝谷には数多くの斜瀑がかかり、それを巻き越えて行かなければならない。
徒渉や三点確保の確実な技術が要求される。
大好きなルートだが、訪れるのは3年ぶりとなった。

このルート、中盤以降は、水量は少ないが、ほぼ沢の流れの中をルートを拾いながら
歩くようになるため、むしろ沢靴を履いて、ジャブジャブ気にせずに行くほう
簡単で安全なのだが、今回は登山靴で歩いた。

石筆橋から作業、簡易舗装された林道を行く。
林道終点から、谷沿いに延びる登山道に入る。

黒い実をつけたハナイカダ

キツリフネ

この日は、"ラスボス"の上ノ丸滝を、より安全性を高めるため、こちらでザイルを
フィックスし、そこにプルージック確保で登っていただくことにしている。
そこで、まず林道にいるうちに、基本動作を練習する。
本番ではプルージックを結ぶのはガイドの仕事だが、練習では各自やっていただく。

林道終点から、いよいよ山道に入る。

左下に、美しい流れを観ながら進む。
沢靴の場合は、はじめから流れに入っていけばよい。

そのうち、流れのそばに沿うようになる。少し水量が多めかな。

石ブテ東谷との二股には、6m直瀑がかかる。
先行パーティが滝で遊んでいた。
この滝、沢靴でなら、頭から水を思いっきりかぶりながら直登できる。

7m斜瀑は右から巻く。

だんだん涼しくなってきた。6m斜瀑もたやすく越えられる。
この日のメンバーは、このような変化あふれるルートにも慣れているので、
次々に出てくる徒渉箇所でも、逐一足の置き場まで指示する必要はない。

小さな斜瀑が連続する。このあたりは、歩くだけで楽しくって仕方ない。

標高760m前後の枝沢ある、下ノ丸滝にも寄り道してみる。
この滝も、若いころに登ってみたが、スタンス、ホールドとも細かいうえ、
縦クラックの上部で身体を少し振る感じになる。もう今は無理だろう。

左斜面に、びっしりとウワバミソウ(青ミズ)が覆う。
野菜が高騰したら、ここに採りにこよう(笑)。

そして、"ラスボス"の上ノ丸滝が登場。
沢靴であれば、直登するのが最も簡単だが、登山靴の場合、右岸につけられた
固定ロープを頼りに登る。ただし、最初と最後が非常に滑りやすく、とくに
上のほうで滑ってしまうと、下まで一気に落下してしまう地形だ。

もともと固定ロープも付けらけているが、色あせたトラロープでは心もとない。
こちらでロープをフィックスし、そこにプルージックで確保して、1人ずつ
登っていただく。

上ノ丸滝を上ったところで昼食タイム。
今回はあまり虫も多くなく、風が通って快適なひとときだった。

最後の詰めは、風化花崗岩の滑りやすい急登だ。
頼りないロープが1本、固定されているだけ。これはいずれ、今使っているロープが
ヘタってきたら、それを付け替えようかな。

急登の途中、ホタルブクロに癒される。

とても金剛山とは思えない美しさではあるが、流水がなくなると、暑さを感じる。

大汗をかいて中尾ノ背に到着。一休みして、笹が茂る尾根道さらに上り、六道ノ辻へ。
ここからの登山道は、「大通り」に見えてしまう。

あとはひたすら下るだけ。
途中、一瞬ではあるが、大和葛城山が垣間見える。
かなり涼しい風が吹いていて、暑さを覚悟していたのに快適、快適。

太尾塞跡から太尾道に入る。その序盤はかなりの急坂だ。
登山道は複線化が激しい。

水越峠への道を分け、朝、通った林道に合流する。最後は風が通らず、
ムッとした暑さ。石筆橋に戻るころには滝のような汗だった。

帰りには、道の駅 かなんに寄って、ソフトクリームや冷たいドリンクで身体を
冷やした。金剛山の楽園、今回も期待を裏切らない楽しさを提供してくれた。

2025年7月12日(土) [宍粟]フォレストステーション波賀から東山、涼しい風の尾根歩き!!

■メイン写真
東山登山コース分岐近くの、美しいブナ林

■今回のコース
フォレストステーション波賀→(東山尾根コース)→928.8m三角点→東山登山コース分岐→
東山→東山登山コース分岐→クリンソウ群落→フォレストステーション波賀(東山温泉)


「しそう50名山」にも選ばれている、旧波賀町の東山。
西麓はキャンプ場や温泉があるレジャー施設の「フォレストステーション波賀」で、
登山のアクセスは良い。
暑い季節でも、比較的涼しい風が吹くという「東山尾根コース」を歩いてきた。

フォレストステーション波賀からコテージ村を抜け、舗装林道を進み、林道終点で
「東山尾根コース」に入る。

ヤマトウバナ。

林道終点ですでに標高約800mあるので、簡単に稜線に出る。

イヌシデの巨木。
カエデ類の樹木も多いが、どうも植えられたもののようだ。
まあ、植樹だとしても、なかなか綺麗なのでよしとする。

928.8m三角点に到着。

ここは少し展望が開ける。休憩ベンチも設置されている。
この日は、日なたに出るとジリジリした暑さを感じるが、
日陰に入ると涼しい。おまけに稜線に出ると、涼しい風が吹き抜けてきた。

オトギリソウの仲間。

気持ちのいい尾根歩きを楽しみ、下山路である東山登山コース分岐を通り過ぎる。
山頂まであとわずかだ。

ブナがひとかたまりに集まっている。
ここは、ひときわ涼感が増した感じで、心地よかった。

ヤマボウシ

山頂に到着。りっぱな展望台が設置されている。

三角点。

展望台に上ってみると、360度の眺望が待っていた。
四方に向けて山名の紹介板もついていて、山名同定に助かる。
北に見えるはずの氷ノ山は、頂が雲に覆われていた。
岡山県最高峰の後山も見える。

暁晴山。峰山高原の主峰も眺望範囲内だ。

山頂の眺めはすばらしいが、お天道様がギラギラ照りつけるので、これではとても
長居できない。先ほどの涼しいブナ林に戻り、昼食タイムとした。

「東山登山コース」で下山にとりかかる。
「ヨグソミネバリ」という樹。聞いたことがなかったが、あとで調べると
ミズメの別名だとわかった。

ヨグソって何?、と気になったが、漢字で「夜糞峰榛」。

ミズメのサロメチール臭のことが「夜糞」だという。なんだかなぁ。

下山はほぼずっと、植林の中。淡々と下る。

林道に下り立つと、細い流れの中にクリンソウ群落がある。
当然、花は終わっているが、スッと伸びた茎に種子ができていた。

あまりなじみがない葉だなと思ったら、「アメリカガシワ」という外来種
これも植えられたものだろう。

ハンカイソウの群落も見つけた。

最後の林道歩きが暑かったが、熱中症になることもなく、無事にフォレスト
ステーション波賀に戻ってきた。
ここの「東山温泉ラドンの湯」は、温泉規格の2.8倍、療養泉規格の1.8倍という
ラドンを含む冷泉だ。サラッとした肌感がいい。
湯あがりにアイスクリームを詰めた冷凍クレープを買って、人心地。

フォレストステーション波賀の敷地内には、「波賀元気づくりネットワーク協議会」が、
立山砂防事務所から買い受けたトロッコ気動車が動態保存されている。
この日は運行日ではなかったが、車両を間近に見物できる。
帰りには道の駅「播磨いちのみや」でお土産と産直の野菜と冷たい飲み物を買って、
山行を締めた。

2025年7月9日(水) [若丹]頭巾山、野鹿ノ滝ルートを歩く!

■メイン写真
小さな祠が鎮座する頭巾山(とうきんざん:地元ではときんさん)の山頂。
山容が修験者の頭巾に似ていることが山名の由来という。

■今回のコース
野鹿ノ滝入口→頭巾山登山口→巨杉→稜線出合→頭巾山→(往路を戻る)→野鹿ノ滝入口→
野鹿ノ滝→野鹿ノ滝入口⇒あっとほ~むいきいき館「ご湯っくり」


当日朝、福井県おおい町の天気予報をみて、最高気温予想が35度というのにビビりつつ
現地へ。登山序盤は北向きの沢筋というセレクトではあるが、登山口で既に26度。
この日の最大の敵は、この高温である。

野鹿(のか)ノ滝入口までクルマを入れて(もう少し先の、舗装が終わるところまでは進入可能)、
まずは野鹿谷にそった林道を歩く。

野鹿ノ滝の落ち口が見える。
この日は、下山後に野鹿ノ滝を観に行くつもりだ。

大きなトチノキ。このほかカツラやサワグルミなど、いかにも渓流沿いの樹木と
いったラインナップが楽しめる。

野鹿谷には、野鹿ノ滝から上には大きな滝はないが、遡行したら楽しそう。

さわやかな緑の中を林道を進む。1.5kmほどのところが頭巾山登山口だ。

左へ下り、涸れた沢を渡って対岸の植林の斜面へと入っていく。
山そのものはものすごい急傾斜になっているのだが、登山道はジグザグに切ってあり
歩きやすい。

タマゴタケ。道中、この一本のみ。

真新しい皮剥ぎの跡。クマさんなのかなぁ。

小尾根に乗り、シャクナゲや巨杉を観ながら登っていくと、いよいよ核心部が
始まる。ここから固定ロープが連続する岩稜となる。
イワカガミやイワウチワの葉もたくさんある。

標高は800m前後だが、なんとなく大峰山系を思わせる風情だ。

やたら多くのロープが張られた急斜面。

見た感じほど難しくなく、三点確保を確実にこなせば大丈夫。

稜線出合の直前で、一度、開けた場所に出る。
日光がカンカンに照りつければ倒れそうな場所だが、幸い、ガスがかかり
薄日になっていた。

稜線出合を左へ、ほんのわずかで許波伎(こわき)神社の祠と三角点がある山頂に到着。
許波伎神社の別名は、冠巾山(とうきんざん)十二社大権現。雨乞いの神様だ。
「こわき」の地名は、綾部側の小和木集落に残っている。

薄いガスがかかっており、本来の絶景からはほど遠い眺め。
しかし、山頂部はあまりに蒸し暑く、熱中症の危険を感じたので、記念写真を
撮っただけですぐに退散した。

山頂北側直下にあった避難小屋(おこもり堂)は、完全に崩壊し、残骸だけが
放置されている。2015年の秋以降に倒壊し、2016年の夏には既に倒壊していた。

下山は、元の道を引き返す。
山頂から少し下りた、開けた場所で昼食を摂り、用心しながら固定ロープの岩場を
下る。あとはたやすく下ることができた。

下山後、野鹿ノ滝に立ち寄る。落差36m、一本の布を流したような迫力たっぷりの滝。
遊歩道を下りると、気温がいきなり下がるのが分かる。
天然の水冷式クーラーの威力だ。
野鹿ノ滝には、伝説がある。
ふもとのおおい町名田庄は、陰陽師安倍晴明の子孫である土御門家が応仁の乱を逃れて
移住した地。土御門家の別当石王丸が、野鹿ノ滝の滝壺から光を放つ薬師如来に、
落ち延びるルートを教えられたものだ。

登山靴を脱いで、冷たい流れに足を浸していると、近くの岩にミヤマカワトンボが
留まった。

帰りに、あっとほ~むいきいき館に併設されている銭湯「ご湯っくり」に立ち寄る。
温泉ではないが、地元の小ぢんまりとした日帰り湯で、300円で入れるのがいい。

2025年7月6日(日) 台高・大峰をつなぐ七窪尾根を歩く(伯母峰峠~WASAMATA HUTTE)!

■メイン写真
苔むした石灰岩が美しい横峰のトラバース道


■今回のコース
伯母峰休憩所→鉄階段→伯母ヶ峰分岐→P1132→尾根分岐→沢道分岐→休憩所(破損)→
巨樹ふれあいルート出合→和佐又のコル→WASAMATA HUTTE


紀伊半島には、南北に走る長大な山脈が2本並行している。
台高山脈と、大峰山脈である。
その2本の山脈を東西でつなぐのが、大普賢岳から伯母峰峠を結ぶ尾根である。
夏でも比較的涼しく、美しいルートなのだが、クルマを回送する必要があるため、
なかなか実行しにくいルートである。
山岳部時代は複数のクルマを使えたので、当ルートも苦も無く歩けたものだが、
今回、ともちゃんに回送を頼み、実現にこぎつけた。

大台ヶ原ドライブウェイの伯母峰休憩所からスタート。
普賢岳がチラ見えしていた。

クマノミズキが花をつけている。

まずは長い鉄階段を上る。

登りきると、伯母ヶ峰への分岐。新しい標識がありがたい。

尾根道に乗ると、進行方向右側(川上村側)は植林だが、左側(上北山村側)が自然林で
たいへん美しい。

P1144を過ぎて、二重山稜の地形になる。南側のリボンをたどると、
少し開けた斜面から和佐又山の端正な三角形が見える。

バライチゴ。

バイケイソウはちょうど満開。臭いにおいが漂っている。

尾根道から外れるところには、ちゃんと道標が立つ。

ヤマトウバナかな?

壊れた休憩舎。

消えかかったトラバース道を行く。

このルートの白眉である、苔むした石灰岩が連なるエリアをトラバースしていく。
尾根を外れていくと、風の通りが悪く、暑さを感じた。

珍しい光景に目を奪われる。

サワギク。

ルートは不明瞭なので、たまに出てくる道標がありがたい。

やがて巨樹がちらほら現れる。

巨樹ふれあいルートのミズナラ

キハダは実がついていた。

和佐又のキャンプ場に下りてきた。
ご自慢のウッドデッキには、イタヤカエデの超巨木が寄り添う。

この老イタヤカエデには、イワガラミと、

ツルアジサイが隣り合わせに絡む。

バイケイソウがすっかり刈り取られてスッキリしたテントサイト上部には、
シカの親子が3頭、悠然と草を食んでいた。

ともちゃんがクルマを回してくれているWASAMATA HUTTEに到着。

この3か月で3度目の訪問だ。

ご褒美にみんなでオシャレなスイーツを頂いた。美味しいし、身体もクールダウンできた。

2025年7月5日(土) [大峰]大天井ヶ岳へ、今年も涼しい風を求めて!!

■メイン写真
奥駈道の途中にある大ヒノキ。さまざまな種類の樹が一体化している


■今回のコース
龍泉寺→かりがね橋→大原山→岩屋峰→大天井ヶ岳→五番関→五番関トンネル登山口

今年もM社の登山ツアーで、[大峰]大天井ヶ岳をガイドしてきた。

龍泉寺から登山スタートだ。境内を参拝したのち出発する。

滝行場ではすでに読経が始まっている。静かに、速やかに境内を抜け、
遊歩道に入る。

天然記念物の巨樹を見ながら、数分でかりがね橋へ。「かりがね」はイワツバメのこと。
全長120m、高さ50mの。天川村最大の吊橋で、村の中心部が一望できる。

展望台、野鳥の観察台を経て、年々、草深くなってきた道を上がって稜線に出る。
稜線上のいちばん上の展望台(立入禁止)は、朽ちた床板に草がびっしり。
すぐ奥には古い公衆トイレの廃墟が建っている。

やがて傾斜が強まってくる。この日、最大の急登が始まる。
踏み跡が交錯する植林の中を登っていくと、石灰岩の露岩が現れる。
市街地は猛暑のはずだが、この日は北からの涼しい風が吹いており、快適だ。

岩屋峰に到着。わずかに山上ヶ岳方面が覗く。
去年までなかった山名プレートが付けられていた。
素朴な私製のもののようだが、たぶん、また除去されてしまうのだろう。

岩屋峰から先は、右側が自然林となり、ブナやミズナラ、カエデなどの落葉広葉樹を
眺めながら歩くのは楽しい。

P1328手前の鞍部で昼食タイムをとったが、ここも風が抜けて涼しかった。
P1328にも、さっくの岩屋峰と同じ意匠の札がかかっていた。

石灰岩が露出した狭い尾根道になる。 

2回目の急登は、左側が美しい自然林になる。風はいつの間にか南風に変わったが、
蒸し暑さはない。

急登を終えると、いきなり大天井ヶ岳の山頂に出る。
山頂からの展望は、今はほとんど得られなくなったが、関西の夏場の登山は
眺めよりも、涼しい木陰がよい。

山頂で大峰奥駈道に合流すると、登山道もずいぶん歩きやすくなる。
自然林の中、古き良き大峰を感じる。

ヒノキなどの何種類かの樹木の根っこが複雑に絡まった巨樹(メイン写真)。 
天空の城ラピュタ」を思わせる。登山道を10mほど外れるだけで、
こんな魅惑的な自然に触れられる。

下山への急坂に差し掛かる直前にも、登山道を10mほど外れると、
ミズナラの巨樹に出会える。

木段が朽ちたあと、鉄の杭だけが残って危なっかしい急坂を下る。
杭にテープが巻かれているのがありがたい。

急坂を終えて、木の根を踏み越えていくと、突然、開けた台地に出る。
おそらくかつて、茶屋があったと思われ、尼崎からの寄進石の残骸がみられる。

五番関に到着。
女人禁制の山上ヶ岳へ続く道には、女人結界門が立っている。
ちなみに五番関、「五番目の関」ではなく、かつてこのあたりに碁盤の目のような
線が入った岩があったことが由来だが、今は見当たらない。

最後の急坂を下りると、ともちゃんがクルマを回して待っている五番関トンネル
登山口だ。午後になって、かなり気温も上がってきた。

途中、涼しい風が吹いていたとはいえ、全体を通じて汗は大量にかいた。
水分を積極的に摂ってもらったので、誰も熱中症にならなかったのがよかった。
最後は洞川温泉ビジターセンターで入浴。風呂上がりにアイスクリームや
冷たいドリンクを楽しんで、身体をリセットした。

2025年7月2日(水) [猪名川]大野山の岩めぐりコースを歩く。アジサイはほぼ壊滅状態!

■メイン写真
リニューアルされた猪名川天文台。あいにく、この日は休館日。


■今回のコース
大野山アルプスランド駐車場→大野山→駐車場→腰掛岩→岩めぐりコース入口→
界九岩→花立岩→うるし岩→夫婦岩→カメレオン岩→神楽岩→鯉の滝登り岩→
獅子の昼寝岩→太鼓岩→おにぎり岩→ふくろう岩→岩めぐりコース出口→(車道)→
猪名川天文台→駐車場


月に1回の「らくらく山歩の会」は、旧摂丹国境にある大野山(おおやさん)へ。
個人的には6年ぶりの訪問となる。
酷暑の予報が出ており、熱中症に細心の注意を払いながら、ゆったり行動した。

大野山アルプスランドから、まずは大野山のピークをめざす。
斜面いっぱいに咲いていたアジサイ(16,000株と言われていた)が全くなくなり、
ワラビシダが一面にはびこっていた。
シカの食害のようだが、アジサイは有毒植物のはず、シカには影響がないのか。

アメリオニアザミが咲いていた。綺麗だが、自然環境的には、好ましくない外来種だ。

あっという間にピークに着く。
薄い霞がかかっていて、せっかくの絶景ピークだが展望はいまひとつだった。

山頂には三角点と方位盤がある。
山頂からは、いったん、駐車場まで戻る。

ホオジロが気分よくさえずっていた。

ムラサキシキブの花。

いよいよ岩めぐりコースへ。
約8,000万年前の白亜紀に、佐曽利カルデラの噴火でできた溶結凝灰岩である。

腰掛岩。

ニガイチゴが熟していた。
この日は他に、クマイチゴを1株だけ、あとは終わりかけのモミジイチゴを見た。

車道を外れ、岩めぐりコースに入る。

界九岩。
元禄の頃、摂津国川辺郡柏原村、有馬群小柿村、丹波国多紀群後川村の間で境界争いが
起き、京都奉行所が岩に印を刻み、国境を明示したもの。35番まであるという。
当コース上で、その幾つかがみられる。

花立岩。
南側の柏原方面が望める。「花立」の形には見えないが、これは帰り道でわかる。

うるし岩。
岩の左側にツタウルシが茂っていた。触ると、かぶれる人もいるので要注意。
北側正面には弥十郎ヶ岳など、丹波の山々が重なる。

夫婦岩(界十二岩)。
ボルダリングに適しており、窪みにはチョークの白い粉がついている。

たぶん界十三岩。
苔むしている。

カメレオン岩。
まさに、うまく名付けたものである。

名前が付いていない巨岩もたくさんある。

神楽座の岩上からは、北側の後川(しつかわ)の集落が見える。

鯉の滝登り岩。
これは、なかなかうまく名付けたものだと思う。

獅子の昼寝岩。
回り込むと、巨大な獅子の横顔が口を開けているように見えなくもない、、、
ような気がする。

岩めぐりコースの中で、クライマックスともいえるのが、太鼓岩。

絶景と、ちょっとしたスリルを楽しめる。

おにぎり岩。
三角おにぎりに、まさかの抹茶ふりかけ!?

ふくろう岩。
なんとなく、顔はわかる。この岩がコース最後の岩だ。

車道に合流する。岩場が形成された仕組みを解説した看板がある。

合流点にあったウリカエデ。

あとは車道を戻るのだが、行きに上から通りがかった花立岩を
下から見上げる。

天文台の広場も絶景ポイント。「恋人の聖地」オブジェが若干、浮いた雰囲気。

この日は定休日。ちょっと残念。

アジサイは、天文台の周りに柵をめぐらせた場所にだけ、わずかに残っていた。

2025年6月28日(土) [小樽]手宮洞窟保存館と、小樽総合博物館本館で観光!

■メイン写真
1985(明治18)年5月、ここ小樽市でデビューしたしづか号(7100形、米ペーター社製)の
生誕140周年を記念するイベントに偶然立ち合い、くす玉割りを見物した。


ニセコアンヌプリへの登山は、順調に昼過ぎに終えたが、舞鶴港に戻るフェリーが
小樽港を出るのは23:15。
14:00過ぎに小樽に戻ってきた我々は、時間が許す限り、小樽観光を楽しんだ。

小樽といえば運河や古いレンガ造りの倉庫群、ニシン御殿などが有名だが、
せっかくなので一般的なツアーっぽくない場所に行こうということで、いくつか
見繕っていた中で手宮洞窟保存館と、そのすぐ横にある小樽総合博物館を巡った。

まずは手宮洞窟保存館へ。
手宮洞窟は、1866年(慶応2年)、相模国小田原から、ニシン番屋の建設のために
来ていた石工の長兵衛が発見。洞窟内の岩壁には、さまざまな文様が刻まれていた。
1878年に榎本武楊が学会に紹介し、英国人の地質学者ジョン・ミルンが学術的に
観察・報告した。

洞窟はその後、前面の岩が削り取られるなど姿を大きく変えたが、大正時代には
国指定史跡となった。その後、保存覆屋が設けられ、現在の保存館ができたのは
1995年(平成7年)のことだ。

描かれている彫刻は(陰刻画)は、1600年ほど前の続縄文時代中~後半の時代の
もの。余市町のフゴッペ洞窟にも、似たような彫刻があるというが、
岩壁に刻画を残す洞窟遺跡は、わが国ではこの2か所のみという。
小規模の保存館だったが、この史跡が貴重であることがよく理解できた。

続いて、小樽総合博物館(本館)へ。
「総合」と銘打っているが、中身は鉄道がメイン。
屋外に約40両の車両が展示されている。
個人的には、大いに"鉄分"を補給できて楽しかった。

博物館が建つ場所は、国鉄の旧手宮線の跡地。
手宮線は、北海道で最初の鉄道として、官営幌内鉄道が開業した区間の一部だ。
石炭や海産物を港に積み出す引き込み線で、1985年(昭和60年)に廃止された。
JR函館本線南小樽駅へと続いていた線路跡は、今は散策路となっている。

しづか号。
1880(明治13)年に、北海道で初めて鉄道が開業したとき、米国製の「義経号」と
「弁慶号」が走ったが、石炭輸送の需要増に対応するため、1885年に同型の
SLを輸入、「しづか号」と命名された。

開拓使号客車の模型。官営幌内鉄道で、開拓使など政府高官専用の特別車として使用。

一等車は現物展示されていて、中に入れる。座り心地はよかった。

石炭や木材を運んだ森林軌道の線路の建設シーンを再現した模型。

屋外展示コーナーへ。
きかんしゃトーマス」を思わせる、ターンテーブルと車庫。
車庫のレンガはフランス積みだそうだ。

キハ82の1号機が展示されていた。感涙モノ。
この隣にはスハフ44-1もあった。

キハユニ25。これもすごい。北海道用車両で6両が造られたのみ。
郵便荷物車と、客車の合造車である。

場内を、観光用にSLが運行されている。

C12。需要が少ない簡易線用の小型軽量SL。

ターンテーブルは車庫のほかもう1基あり、間近でみることができる。
回転しているところをみたかったなあ。

キハ03。国鉄が、閑散線区用に1954年(昭和29年)から製造した、レールバス
呼ばれる小型気動車。全長は10mほどだ。北海道用に、20両造られた。

キハ03の車内。

130周年を迎えた国産蒸気機関車、大勝号(7150形)。
1895(明治28)年、国産2番目の蒸気機関車で、北海道炭礦鉄道手宮工場の製造。

初の除雪車は、なんと木製だった。まるで船のようだ。

関西の人間にはあまりなじみがないラッセル車。なんとも頑丈そうだ。

このあと、お客様3名がもう1泊、小樽に泊って観光を楽しむとのことで、
宿泊されるホテルまでお送りし、残った我々は、イオンが入っている総合
ショッピングモールの「ウイングベイ小樽」でお土産を買い、夕食を済ませた。
フェリーターミナル近くの「小樽温泉 オスパ」で入浴後、新日本海フェリー
舞鶴へと向かったのだった。
下見を兼ねた北海道山行、一部に行程変更もあったが、個人的にはかなり
充実したものになった。

2025年6月28日(土) [ニセコ連峰]ニセコ五色温泉からニセコアンヌプリへ!

■メイン写真
ニセコアンヌプリの山頂から、ヒラフスキー場と羊蹄山を展望する


■今回のコース
ニセコ五色温泉旅館→ニセコ山の家(閉館)前駐車場→見返坂分岐→遭難碑→1065m展望
スポット→ニセコアンヌプリ→(往路を戻る)→ニセコ山の家(閉館)前駐車場


北海道山行の3日目は、ニセコアンヌプリへ。2002年9月以来になる。
当時、ホテル日航アンヌプリ(現在のニセコノーザンリゾート・アンヌプリ)から、
リフトで最短距離で登頂した。

やっとこさ、快晴に恵まれた。ニセコ五色温泉旅館に別れを告げる。

キャンプ場の脇から登山道に入る。

シラカバの樹林から山道に入っていく。

今日もゴゼンタチバナが綺麗に咲いている。

スタートしてわずか20分ほどで樹林帯を出ると、日差しをダイレクトに受ける。

エゾシオガマ。昨日は見なかったような…

見返坂から、モイワ山方面。
とにかくこの山行は、ずっと絶景を楽しめる。

いつの間にか、ニセコ五色温泉旅館がずいぶん下に見える。

遭難碑。

エゾヘビイチゴ
ワイルドストロベリー(オランダイチゴの一種で、北米原産)で、帰化植物

寿都湾から尻別川河口あたりの海が見えているのだろうか。

イワオヌプリ。

アルペンムードいっぱいのガレ場を上る。

エゾフウロがたくさん咲いていた。
ピンクのハクサンフウロよりも、薄紫がかっている。

500mごとに、山頂までの残り距離を示す標識。

エゾゼンテイカの向こうに、いよいよ山頂が見えてきた。

山頂に到着。ケルン風の石積みの向こうに羊蹄山(蝦夷富士)。
正式には後方羊蹄山(しりべしやま)と呼ぶ。

山頂には小さな避難小屋がある。

避難小屋は質素で堅牢な造りだが、清潔が保たれている。
昔の感覚で言えば、詰めれば20人ほど寝られそう。

ニセコアンヌプリ南峰を望む。
彼方には支笏湖と、湖畔の山々が連なる。

山頂では、太平洋戦争のころはゼロ戦の翼が凍結しないよう、実際に飛行機を
置いて観測をしていたらしい。山頂部には、その建物のコンクリート土台の跡が
今も残る。

下山は、来た道を戻った。見返坂分岐で昼食タイム。
クルマに戻り、小樽へと向かうのであった(続く)。

2025年6月27日(金) [ニセコ連峰]五色温泉からニトヌプリ、大谷地、イワオヌプリ鉱山跡へ(花編)!

■メイン写真
北海道のマイヅルソウは、やたらでっかい!!

■今回のコース
ニセコ五色温泉旅館→五色温泉インフォメーションセンター(登山口)→イワオヌプリ分岐→
硫黄鉱山跡分岐→ニトヌプリ(北峰)→パノラマライン登山口→大谷地入口→大沼→
硫黄鉱山跡→硫黄鉱山跡分岐→イワオヌプリ分岐→五色温泉インフォメーションセンター
ニセコ五色温泉旅館


北海道山行2日目。道中で見かけた花たちを一気掲載。
いつものように、マチガイがあるかもしれません。気づいた方はご指摘ください。

[1]五色温泉~ニトヌプリ

■アカモノ

シラタマノキ

■イソツツジ(エゾイソツツジ)

タニウツギ

ゴゼンタチバナ

■ギンリョウソウ

■エゾノヨツバムグラ

■ベニバナイチヤクソウ

■ミヤマヤナギ

■ミネカエデ

■オガラバナ

■ツバメオモト

■ウコンウツギ

エンレイソウ
北海道には9種寧のエンレイソウがあるそうだが、これはどれになるのか??

■オオバタケシマラン
タコさんウインナー型の花。

■ムラサキヤシオツツジ

■ハイオトギリ?

■エゾゼンテイカ

■オオバセンキュウか、ミヤマセンキュウ?

■ハクサンチドリ

[2]パノラマライン~大谷地

■コウリンタンポポ
パノラマラインの舗装道で咲いていた。外来種
アカツメクサもセットで外来種

ミヤマキンポウゲ?

■オオバタチツボスミレ

■フサスギナ
スギナなので、シダの一種(トクサ科)であり、花ではないが、珍しいので掲載。

ツマトリソウ

■カラマツソウ

■ナンバンハコベ?

■スゲの一種

ヒオウギアヤメ

■オオアマドコロ

シナノキンバイ(黄色のほう)

オオバミゾホオズキ

ワタスゲ

[3]大沼~ニセコ五色温泉

■コヨウラクツツジ

■エゾノマルバシモツケ

2025年6月27日(金) [ニセコ連峰]五色温泉からニトヌプリ、大谷地、イワオヌプリ鉱山跡へ(行程編)!

■メイン写真
大谷地(おおやち)湿原の「フサスギナ」。北海道だけに生える。絶滅危惧Ⅱ類。


■今回のコース
ニセコ五色温泉旅館→五色温泉インフォメーションセンター(登山口)→イワオヌプリ分岐→
硫黄鉱山跡分岐→ニトヌプリ(北峰)→パノラマライン登山口→大谷地入口→大沼→
硫黄鉱山跡→硫黄鉱山跡分岐→イワオヌプリ分岐→五色温泉インフォメーションセンター
ニセコ五色温泉旅館


北海道山行の2日目は、起点をニセコ五色温泉に移し、チセヌプリへ周回登山をしようと
考えていた。
しかし、道中の蒸し暑さと、登山道が意外に歩きにくくスピードを確保できなかったため、
途中でルートをショートカットするにとに。それでも全長12kmの充実したトレッキング
となった。
樹林帯、草原、湿原、鉱山跡と、変化に富む道中。次々に異なる植物が現れ、目が
忙しくて仕方なかった。
花については別途まとめて紹介する。

インフォメーションセンターの前が登山口、橋を渡り、山行スタート!!

3分ほどで小さな祠を見送る。

この長い階段に一瞬、ひるむ。

緑の林床が美しい。さすがは北海道である。

ケルンのような石積みがある、開けた場所に出る。
ガスが出ていなければ絶景が広がっていたに違いない。

イワオヌプリへの分岐。イワオヌプリの語源はアイヌ語で「硫黄の山」。
今回はパスしたが、行きたい山のひとつ。

硫黄鉱山跡分岐の標識。ぐるっと周回して、ここに戻ってくる予定だ。

小イワオヌプリ(1039m)は、頂上部に奇岩が連なる。

滑りやすいザレ場を下る。長い固定ロープが張られている。

やっと下りきったと思ったら、高さ5mほどある崩壊地が出てくる。
固定ロープと、ネマガリダケの稈を頼りに、カニ歩きでしのぐ。

ニトヌプリを見上げる。この山の語源は明らかではないそうだ。
「ニト」に該当するアイヌ語がないらしい。

鞍部からは、おもしろい形の岩がみられる。

ニトヌプリへのダラダラした登りが始まる。高木がなくなるので、暑さを感じる。

ニトヌプリ(北峰)の山頂に到着。
南峰へは深いササの海が続くため、積雪期向けとなる。

パノラマライン登山口へは、どんどん下る。
ちょうど北八ツのように、火山岩がごろごろ現れる道は歩きにくく、
ペースが上がらない。昭文社山と高原地図」に載っているコースタイムは
かなり辛いと感じた。
翌日に登ったニセコアンヌプリのコースタイムは妥当感があったので、何かの
手違いかもしれない。

ドライブウェイであるパノラマラインに出た。
今回のパーティは決して足が遅いわけではないが、昼前のこの時点で、地図の
コースタイムより1時間以上の遅れ。
いくら花の写真を撮りながらとはいえ、これは明らかにおかしい。

一旦、チセヌプリの登山口まで行ったが、コース変更を決断し、パノラマラインを
歩いて大谷地へショートカットすることにした。
楽しみにしていたチセヌプリ、長沼、神仙沼は、次の機会におあずけだ。

大谷地への入口(駐車スペースがある)で、手早くランチを済ませた。

大谷地は貴重な湿原で、珍しいフサスギナの群生地。
フサスギナは、唯一の生息地である北海道でも、絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。
このこともあって、大谷地は1977年に「大谷地植物群落保護林」に設定され、
2018年には「大谷地フサスギナ希少個体群保護林」となった。

大谷地でフサスギナのほか、ヒオウギアヤメなどを観ながら進むが、
この木道だけは、かなり滑りやすくなっていて危ない。やばいなと思った瞬間、
ツルッといって尻を打ち、左肩を軽く突いてしまった。カッコ悪い。

湿原が終わると、根曲りしたカンバ林になる。「頭注意~」を数秒に一度、発信する。

大沼。晴れていたらイワオヌプリの影が湖面に映るというが、ガスガス~!

ほぼ薮こぎのような場所もあった。ダニは見かけなかったが、北海道のマダニは
ライム病原細菌を持っていることがあり要注意だ。

突然、荒涼としたザレ場が広がる台地に出た。イワオヌプリ鉱山跡に到着だ。
当然、硫黄の匂いが漂っている。
イワオヌプリ(岩雄登)硫黄鉱山跡は、江戸時代末期から採掘がはじまった。
のち三井物産が所有し、1937年頃に閉じたようだ。

今のニセコ五色温泉旅館は、もともとこの鉱山の硫黄精錬所から、明治時代に小川拓氏が
温泉の権利を得、何度か人手に渡ったのち精錬所の井上土次郎氏らがが買収。
1929年に井上氏が精錬所跡に小屋を建てて井上温泉を開業したのがルーツという。

鉱山跡に流れる沢を渡る。

ともちゃんが。目ざとくモウセンゴケを発見。

赤土の傾斜地をトラバース。まったく、変化が激しい。

そのあとは砂礫地に戻る。

朝、見上げてうんざりした例の階段に戻ってきた。

16:15、五色温泉インフォメーションセンターに帰着。
ショートカットしても、この時間になった。結果的に好判断。危なかった。
この日、見かけたものの名前が分からなかった花を、センターで調べさせて
もらってから、ニセコ五色温泉旅館に戻った。

さあ、明日は最終日、ニセコアンヌプリへの山行だ(続く)。