■メイン写真
1985(明治18)年5月、ここ小樽市でデビューしたしづか号(7100形、米ペーター社製)の
生誕140周年を記念するイベントに偶然立ち合い、くす玉割りを見物した。
ニセコアンヌプリへの登山は、順調に昼過ぎに終えたが、舞鶴港に戻るフェリーが
小樽港を出るのは23:15。
14:00過ぎに小樽に戻ってきた我々は、時間が許す限り、小樽観光を楽しんだ。
小樽といえば運河や古いレンガ造りの倉庫群、ニシン御殿などが有名だが、
せっかくなので一般的なツアーっぽくない場所に行こうということで、いくつか
見繕っていた中で手宮洞窟保存館と、そのすぐ横にある小樽総合博物館を巡った。
まずは手宮洞窟保存館へ。
手宮洞窟は、1866年(慶応2年)、相模国小田原から、ニシン番屋の建設のために
来ていた石工の長兵衛が発見。洞窟内の岩壁には、さまざまな文様が刻まれていた。
1878年に榎本武楊が学会に紹介し、英国人の地質学者ジョン・ミルンが学術的に
観察・報告した。
洞窟はその後、前面の岩が削り取られるなど姿を大きく変えたが、大正時代には
国指定史跡となった。その後、保存覆屋が設けられ、現在の保存館ができたのは
1995年(平成7年)のことだ。
描かれている彫刻は(陰刻画)は、1600年ほど前の続縄文時代中~後半の時代の
もの。余市町のフゴッペ洞窟にも、似たような彫刻があるというが、
岩壁に刻画を残す洞窟遺跡は、わが国ではこの2か所のみという。
小規模の保存館だったが、この史跡が貴重であることがよく理解できた。
続いて、小樽総合博物館(本館)へ。
「総合」と銘打っているが、中身は鉄道がメイン。
屋外に約40両の車両が展示されている。
個人的には、大いに"鉄分"を補給できて楽しかった。
博物館が建つ場所は、国鉄の旧手宮線の跡地。
手宮線は、北海道で最初の鉄道として、官営幌内鉄道が開業した区間の一部だ。
石炭や海産物を港に積み出す引き込み線で、1985年(昭和60年)に廃止された。
JR函館本線・南小樽駅へと続いていた線路跡は、今は散策路となっている。
しづか号。
1880(明治13)年に、北海道で初めて鉄道が開業したとき、米国製の「義経号」と
「弁慶号」が走ったが、石炭輸送の需要増に対応するため、1885年に同型の
SLを輸入、「しづか号」と命名された。
開拓使号客車の模型。官営幌内鉄道で、開拓使など政府高官専用の特別車として使用。
一等車は現物展示されていて、中に入れる。座り心地はよかった。
石炭や木材を運んだ森林軌道の線路の建設シーンを再現した模型。
屋外展示コーナーへ。
「きかんしゃトーマス」を思わせる、ターンテーブルと車庫。
車庫のレンガはフランス積みだそうだ。
キハ82の1号機が展示されていた。感涙モノ。
この隣にはスハフ44-1もあった。
キハユニ25。これもすごい。北海道用車両で6両が造られたのみ。
郵便荷物車と、客車の合造車である。
場内を、観光用にSLが運行されている。
C12。需要が少ない簡易線用の小型軽量SL。
ターンテーブルは車庫のほかもう1基あり、間近でみることができる。
回転しているところをみたかったなあ。
キハ03。国鉄が、閑散線区用に1954年(昭和29年)から製造した、レールバスと
呼ばれる小型気動車。全長は10mほどだ。北海道用に、20両造られた。
キハ03の車内。
130周年を迎えた国産蒸気機関車、大勝号(7150形)。
1895(明治28)年、国産2番目の蒸気機関車で、北海道炭礦鉄道手宮工場の製造。
初の除雪車は、なんと木製だった。まるで船のようだ。
関西の人間にはあまりなじみがないラッセル車。なんとも頑丈そうだ。
このあと、お客様3名がもう1泊、小樽に泊って観光を楽しむとのことで、
宿泊されるホテルまでお送りし、残った我々は、イオンが入っている総合
ショッピングモールの「ウイングベイ小樽」でお土産を買い、夕食を済ませた。
フェリーターミナル近くの「小樽温泉 オスパ」で入浴後、新日本海フェリーで
舞鶴へと向かったのだった。
下見を兼ねた北海道山行、一部に行程変更もあったが、個人的にはかなり
充実したものになった。