Mr.Dashのぶろぐ館(新館)

関西の山々や日本アルプスが大好き。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅡ)、山岳ライターでもあるMr.Dashのブログです。Gooブログのサービス停止(2025/11)により、引っ越してきました!

2026年2月28日(土) [丹波]金山、光秀の山城跡と「鬼の架け橋」、そして春の野草!!!

■メイン写真
金山の山頂部にある、丹波の鬼が架けた「鬼の架け橋」

■今回のコース
金山登山者用駐車場→鐘ヶ坂明治トンネル→西瓶割峠→鐘ヶ坂峠→金山→鬼の架け橋→
園林寺跡→NHKアンテナの分岐→追入神社→金山登山者用駐車場


今年もM社のツアーで、丹波の山城跡・金山城址と、奇岩・鬼の架け橋、
そして追入のスプリング・エフェメラルを観察してきた。
尾根筋は強い北風で寒く、途中で小雨もパラつく、あいにくの天気だった。

金山登山者用駐車場は、既に先客のクルマが4、5台あった。
この山も人気が出てきているのだろうか。

まずは少し寄り道。鐘ヶ坂明治トンネルを観に行く。
これは、レンガ積み構造のトンネルとしては日本最古のものだ。
鐘ヶ坂峠には、これを含め3本のトンネルがあり、明治、昭和のトンネルは
現在は立入禁止となっている。
明治トンネルに関する説明板が立っているのが昭和トンネルの手前なので、
間違える人もいると思う。

獣除けゲートを開けて、「テンプルコース」に入る。ここから山道だ。
瓶割峠(かめわりとうげ)へ続く、スギやヒノキの混成植林の道は、かつて立杭焼の瓶や壺を
背負った商人が歩いた道。途中で転んだりして、よく割れてしまったことにから、峠の名が
ついたという。

東西の瓶割峠への分岐。東瓶割峠は、太平洋戦争のころの軍道だ。
ここでしばらく解説していたら、お客様が、当方の背後でネズミがチョロチョロ姿を
みせていると教えてくださった。
みると、アカネズミの巣が杉の木の根元にあるようで、我々が気になるようで
落ち着かない様子で巣を出たり、また入ったり。しばらく楽しい観察会となった。

すぐに西瓶割峠に到着。
新しい標識が増えていた。
峠からは、分水界の径を少しの急登する。数分で、譲葉山への道を分け、ここで
分水界の径とはお別れだ。

鐘ヶ坂峠を過ぎると、巻き道と尾根道に分かれる。
この日は尾根道をとったが、426m三角点は残念ながら絶景はおあずけ。

金山への最後の登りは、やや急になっていて、小雨で落ち葉が濡れて滑りやすかった。

ひとつ曲輪を横目に見て、若いソヨゴやアセビが茂り始めた平坦地を抜けると、
かつて光秀の砦があった金山城址に到着。
信長に命ぜられた丹波攻めの折、敵方・波多野氏の八上城と、赤井氏の黒井城との
連携を断つために築かれた。
天気がよければ譲葉山へ続く稜線の奥に黒井城が見えるのだが、周りは真っ白だった。

山頂のすぐ先に、大江山の鬼が架けたという「鬼の架け橋」がある。
1449年の丹波地震でできたとの記録があるという。
ということは、城ができる約130年も前から、この奇岩があったのか。
また後世、浮世絵師・安藤広重が丹波に来て、「日本六十余州名所絵図」の中で、
「鬼の架け橋」を描いた。

昼過ぎに到着したので、めいめいの写真を撮影したあと、巨岩で北風を避けてランチタイム。
ちょうど小雨もやんで、ありがたかった。

下山は南へ尾根道を下る。北風は金山そのものに遮られ、まったく別の山のよう。

園林寺跡に下りてきた。
この寺は、もと日蓮宗円光寺の末寺で、江戸末期に村からこの地に移され、
明治末期から大正時代は尼寺となり栄えたという。
少し下ったところの枝道に入ると、かつての行場「滝跡」があり、岩壁の上に
役行者と、岩壁の割れ目に不動明王が祀られていたというが、以前踏査した時は
見つけられなかった。今回は滝跡には寄らない。

緩やかな尾根道を、さらに南へと下る。
NHKアンテナが立つ分岐の手前からは、大山荘の田圃が見下ろせる。
もとは藤原氏の荘園だった大山荘は、のちに京都の東寺の所有になる。
これは、空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を空海の死後に売却し、
その資金で買ったものだそうだ。

なおも緩い坂を下り、獣除けの柵を通り過ぎると、真言宗の大乗寺の下手に出る。
大乗寺の創建は白鳳時代(645-710年)で、法道仙人が開いたという。
大いに栄えていたが、光秀の丹波攻めで焼失した。1597年に現在地に再建された。
仁王門は、かなり立派な造りだ。

村の旧街道に出て、単なるガードレールの欄干である橋が見える。
じつは和泉式部ゆかりの由緒ある橋、「別れじの橋」だ。

大江雅致の娘・和泉式部は平安時代の歌人で、恋多き女性として知られる。
丹波への旅の途中に子どもを宿し、ここ大山宮で女児を産み「加祢」と名付けた。
加祢を乳母に預け、泣きながら別れた場所だという。
加祢は美しく成長し、再びこの地を訪れた和泉式部と再会する。
京に連れ帰られると「小式部の内侍」として、「大江山 生野の道の遠ければ 
まだ文も見ず 天の橋立」の歌を残した。

追手神社に到着。先ほどの大乗寺とは神仏習合の関係だったという。
創立年は不明ながら1000年以上の歴史があるという。
境内にある「千年モミ」は樹高35.58m、幹周7.68mで、国指定天然記念物。
この他にも、推定樹齢350年の夫婦イチョウがある。
山手に見える巨大な切り株は、かつて樹高30m、幹周4.9mもあったエゾエノキ。

最後に、春の妖精(スプリング・エフェメラル)の群落に立ち寄る。

ちょうどセツブンソウが満開だった。

セリバオウレンも可憐に咲いていた。

アズマイチゲ、ユキワリイチゲは蕾、キクザキイチゲ、ニリンソウ、イチリンソウ、
キバナノアマナはまだこれからだ。
ここのエリアは4月下旬まで、このようにいろいろな花が順に咲いていく。

駐車場に戻る途中、伊能忠敬ご一行10名が測量のためこの地を訪れ、
村人131名を雇って測量したことを記した記念碑がある。
ショートトリップではあるが、見どころ豊富な里山。もっと人気が出てもいい。