
■メイン写真
神武東征の折、「熊野神邑に至り、天ノ磐盾に登る」と日本書紀に記されている神倉神社
■今回のルート
神倉神社駐車場→神倉神社→第1展望台→千穂ヶ峯→熊野速玉大社→神倉神社駐車場⇒
新宮駅⇒新宮城跡
日帰り登山としては限界距離とも思われる、新宮の千穂ヶ峯へ、9年ぶりに登ってきた。

538段あるという石段は、源頼朝が寄進したと伝わる。
それにしても急だ。
毎年2月6日に、この石段を松明を持ちながら駆け下る奇祭「御燈祭り」が行われる。

石段の途中に、千穂ヶ峯への近道の分岐があるが、まずは神倉神社を目指す。
ちみなにこの近道、標識が立つメイン道の分岐直前は固定ロープが張られた急登となる。

神倉神社に到着。社殿の背後にある巨岩・ゴトビキ岩は、日本古来の磐座信仰を
思わせる。熊野三山の元宮とされ、熊野大神が熊野三山として祀られるより前に、
一番最初に降臨された聖地である。
明治の修験廃止令で一時廃れたが、現在はパワースポットとして人波が絶えない。

「ビキ」は、ヒキガエルのことで、紀伊田辺にも「ひき岩群」という場所がある。
そういえば、なんとなく似てるかも。

神倉神社の直下からは、新宮の町と熊野灘が見下ろせる。

ゴトビキ岩の裏に回る。巨岩の隙間も神域で、ここからは弥生時代の銅鐸や経塚が
発見されている。

千穂ヶ峯への登山口に入る。大きな案内板が目印だ。
こちらのほうは登山口を示す標識がないので注意。

登山道に入ると、しっかりした標識が出てくる。

一斉に空に向けて、ウラジロの若葉が伸びる。宇宙に交信しているようだ。

ちょっとした急登を経て、第1展望台に到着。

樹々が生長して、ほとんど「展望」できなくなっていた。
ちなみに第2展望台は、この日は行かなかったが、越路峠方面に少し下りたところにある。
こちらも現在は、展望がなくなっているとのこと。

キバナウツギが咲いていた。

千穂ヶ峯への尾根道は、進行方向左側(西側)がスパッと切れ落ちた地形で、
岩場から少し身を乗り出すと、熊野川の美しい流れが見下ろせる。

9年前よりも樹木が茂り、川が見えにくくなった。

切れ落ちている左側には、危険なため柵が設置されている。

千穂ヶ峯の山頂に到着。樹木に囲まれ、あいにく展望には恵まれない。
千穂ヶ峯は、の別名は「鎮護ヶ峰」、もうひとつが、多くの尾根が張り出していること
から「千代ヶ峰」、さらに、経典が埋められてきたことから「経ヶ峰」とも呼ばれる。
また、千穂ヶ峯と、南側の神倉山を総称して、権現山とも呼ばれる。

この鮮やかなピンク、そして大柄な花。ひょっとしてジングウツツジだろうか。

アリドオシ。

三本杉登山口に下山してきた。

熊野速玉大社に寄る。
境内に入ると、まず目に飛び込んでくるのが、日本一のナギの大樹だ。
樹齢約1,000年とされる。国指定の天然記念物に指定されている。

こちらは新宮市指定天然記念物の、オガタマノキ。幹回り1.65mの大樹
神社に植えられることが多いのは、この木を神殿に供えて、神の霊を招く習わし
「招霊(おがたま)」からきているという。
この葉を食草として育つ南方系のミカドアゲハの飛来もみられるという。

境内に着くと、雨がぽつぽつ降り始めた。この日は朝から雲が厚く、とくに午後からは
湿った風が吹いてきていたので、よく下山するまでもったと思う。
神殿は参拝者の長い行列ができていた。
ちなみに熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰時代の神倉山から、
初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから新宮社と呼ばれてきた。
新宮とはいえ、創設されたのは今から1800~2000年(景行天皇58年)というから、
じつに古いのである。

雨は傘が必要なほどになってきたが、せっかくなので新宮城跡にも寄ってみた。
思ったより大規模な城で、石垣も立派である。
新宮城は、もとは源為義(頼朝の祖父)の娘・丹鶴姫が居住し「丹鶴城」と呼ばれた。
丹鶴姫は、熊野別当16代熊野別当長範の子息・行範の妻となり、新宮に住んだ。
行範の死後、出家して鳥居禅尼となり、菩提寺の東仙寺に入ったという。
新宮城は、元和5年(1619年)に浅野忠吉に代わり、紀州初代藩主・徳川頼宣の付家老で
ある水野重仲が入城。その後10代にわたり水野氏が治めた。

城跡から熊野川を望む。川の向こうは三重県となる。
このほかにも新宮には訪れてみたい観光スポットはたくさんあるが、それはまた
別の機会に。