
メイン写真
向山三角点と大原山を結ぶ支尾根に立つ古い標石
■今回のコース
平群駅⇒(平群町コミュニティバス)⇒鳴川バス停→ゆるぎ地蔵→鳴川不動滝→千光寺→
四つ辻→溜池→橋→藤尾の阿弥陀如来立像→鶴林寺→七つ森地蔵→教弘寺→岩谷の滝 大聖院
→宝山寺→ケーブル宝山寺駅
生駒山系の古道のひとつ、「庄兵ヱ道」を久しぶりに訪ねた。
江戸時代、地元・鬼取に住む庄兵ヱさんが、宝山寺中興の祖・湛海律師から、
ともに修験の寺であった宝山寺と千光寺の間を結ぶ道の整備を頼まれて拓いたルートだが、
久しく忘れられていたものだ。
今回は交通の便を考え、鳴川の千光寺から、宝山寺へと抜けることにした。
この数年の間に、倒木やササ薮のブッシュが増え、道中はかなり難儀した。

鳴川のゆるぎ地蔵。頭に、92cm四方の笠石を乗せている珍しいものだ。
元寇(文禄・弘安の役)の二度目(1281年)に際して、国家的危機を回避するために
立てられたと考えられている。

鳴川不動滝の不動明王。

千光寺は、真言宗別格本山の格をもつ。

役行者の開創で、ウルシの木で千手観音を刻んで草庵に安置したという。
役小角が大峯山を開くより前に修行した場所ということで、後世、「元山上」と
呼ばれるようになった。

千光寺の門前にある古い標石。これが庄兵ヱ道を示すものだ。

右の道を進むと、次の標石が現れる。ここで左折。

ほどなく山手の道に上がる。

いきなり、この薮。これは先が思いやられる。

3つ目の標識を見て、少しホッとする。

竹薮の中をテープ、リボンをたどっていく。
踏み跡がなくなっているところもあり、この道は再び忘れられてしまうのだろうと予感。

標石は、はじめのうちは欠けずに出現する。

それなりの坂を登り、向山三角点と大原山を結ぶ支尾根に登りつく。
ここにも標石がある(メイン写真)。

こんな薮が断続的に現れる。時節柄、ジョロウグモの巣もあちこちにかかり、
拾った枝を振り回しながら進む。

このあたりから、標石が見当たらなくなる。
数年前に再発見された「庄兵ヱ道」だが、もしかしたら少し外れた場所に
標石があるのかもしれないし、長年の荒廃で埋もれたりしたのかもしれない。

古い鍋。今は雑木林の薮の中でも、人の痕跡がたまに見つかる。

倒木がひどい。旧道の軌跡は見えても、巻いていくのが大変だ。

溜池に出てきた。なんとなく正しくたどれている。

道中、唯一の固定ロープの急坂。
庄兵ヱ道は極力、無駄なアップダウンを省いて付けられたと思われるので、
当初はジグザグに道がつけられていたのだろう。

たまに、明らかに人の手が入った規模の石垣を見かける。

タマゴタケ!! まだあった。

暗峠に源を発する竜田川支流にかかるコンクリート橋を渡り、
竹林を右へ迂回していく。
本来の庄兵ヱ道は、直登して藤尾の阿弥陀如来立像あたりに出ていたようだが、
今は鉄柵があってまっすぐ登れない。

集落に出た。荒れた山道の"探検"にやや疲れてきたので、ホッとする。

車道に出て、ちょうど昼頃になったので、やまびこホールの軒先を借りようかと
思ったら、なんとやまびこホールは跡形もなく平地になっていた。
調べたら今年3月に解体工事が行われたようだ。公衆トイレもあったのに残念。

藤尾の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の文永7年(1270年)の造立だ。

車道を歩き、ラッキーガーデンへと向かう。
「スピード オットセイ」の看板が秀逸だ。

七つ森地蔵。
地元では、七つ森の樹々を切ると祟りがあるという言い伝えがあるらしい。

教弘寺。
江戸時代の史料では、5つの草房があったとされる。
教弘寺にある役行者石像は安土桃山時代の作という。
本堂の裏には不動明王像がある。

教弘寺の右手裏側に、真新しい砂防堰堤ができていた。

ふたたび山道に入り、岩がゴロゴロした歩きにくい涸れ沢に入ったあと、
薄い踏み跡をたどる。

舗装道終点に出ると、壱分、南生駒あたりが眼下に望めた。

岩谷の滝 大聖院。
唐招提寺の修行場として、約120年前に創建された比較的新しい寺だ。
滝行場の前で、白装束で真言を唱えている女性行者さんがいた。

宝山寺に到着。
奥に見える般若窟は、奈良時代に役行者が修業し、般若経を納めた場所だ。
巨大なスズメバチの巣がかかっていた。

宝山寺駅からは、ケーブルカーで下山。
探検と歴史探訪の山行、おつかれさまでした!!