
■メイン写真
多田銀銅山の青木間歩。唯一、中に入れる間歩だ。
■今回のコース
イオンモール猪名川→一本松山→村上新田→大露頭→瓢箪間歩→青木間歩→
悠久の館→白金二丁目バス停
兵庫県猪名川町に、多田銀銅山があることは、かなり昔から知っていた。
もっと遠い生野銅山や、四国の別子銅山には行ったことがあるのに、
多田銀銅山には、恥ずかしながら今まで行ったことがなかった。
すぐ横は何度も通り過ぎているのに。
しかし、低くてもいいから山歩きを組み合わさないと、どうも気が済まない。
地形図をにらめっこして、すぐ北にある四等三角点の一本松山(301m)と
セットで歩いてみた。

イオンモール猪名川を起点に、まず北側にある総合公園を抜ける。

総合公園の北側入口から農道に出て、ほどなく、石仏がたたずむ分岐から
右へ延びる山道に入る。

小沢沿いに歩いていくと、右に溜め池が出現。

この注意書きが、ビミョーに面白い。
ホンマに「ぜったい」なんやな!
水も涸れかけた二股で、真ん中の尾根道をとる。

初めはシダが覆い繁っている。意外にも急登だ。
今日は最高点でも標高300m。とにかく低い山なので、暑い暑い。

大汗かきながら、それでも時間的には出発から1時間もかからずに、
一本松山の山頂に到着。マツの木は全くない(笑)!!
ルートはずっと明瞭なので、地元の人はけっこう歩いているのかもしれない。
西へ尾根をたどり、道の駅いながわに続く十字路の峠で、左折。南へ向かう。

すぐに村上新田に着く。ここで初めて、整備された道標をみる。
村上新田は、多田銀銅山で働く坑夫たちのための米をつくっていたところ。
今でも田圃は健在だ。

道端に、完熟したキイチゴがあった。
幅広の林道は、やがて舗装道に変わる。もう山歩きは終わり。

右に折れて、大露頭を見に行く。
このあたり、間歩(まぶ)と呼ばれる坑道が縦横無尽に掘られていたようだ。

台所間歩。
秀吉時代に開坑された。銀・銅が豊富に採れ、大坂城の財政を賄うほどだったことから
この名がついたという。立入禁止。

瓢箪間歩。
秀吉が、馬上のままここに入ったとの伝説が残る。落盤の危険性があり立入禁止。
なお、多田銀山には、豊臣秀吉が晩年、愛息・秀頼のために四億五千万両を埋蔵した
との言い伝えがある。日本最大級の埋蔵金伝説の地でもあるのだ。
ちなみに、このあたりの山には、通気口の役割を果たした立坑があるらしく、
むやみに立ち入ってはいけない。
また、私有地でもあり、試しに掘ったりするのもNGだ。

青木間歩の左手の階段を少し登ると、掘削年代は不明だが、鉱脈に沿った手掘りの
坑道跡がみられる。なんとなく、ひんやりした空気が流れている。

金山彦神社。ここで弁当タイムとした。
時折、風が吹き抜けてくれて助かったが、ここまでの間にフェイスタオルは
汗で絞れるほどになり、水筒は500ccのが1本なくなってしまっていた。

悠久広場(堀家製錬所跡)。
明治時代の精錬所の遺構。煉瓦の設備は復元されたもの。
多田銀銅山は、東大寺の大仏建立(749年)に、ここの銅が使用されたとされている。
広義には、「猪名川町を中心に、箕面・池田・宝塚・川西・豊能・能勢にまたがる
東西20km、南北25km広大な鉱山地帯」で、2,000もの間歩があったという。。
この近辺は、「特に品位の高い銀を有する鉱脈が発見された地域」とのこと。
天禄年間(970年頃)から本格的に発掘が始まり、昭和48年の閉山まで、
長きにわたる歴史がある。

史料館である悠久の館で、展示物をつぶさに見る。
冷房が効いていて助かった。

ヤマモモの実が熟して大量に落ちていた。

このらせん階段を登り、閑静な住宅街の白金二丁目バス停へ向かう。
ちょうどバスがやってきたので、走って飛び乗った。
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