T橋クンが腰の骨を折る重傷で入院するハメになっただけに、
いわゆる「敗退」山行を書いて、何の価値があるのか。我がパーティの
名誉を汚すだけでなく、T橋クンの気持ちを考えると、ひっそりと
しておくべきなのでは…いろんな考えが去来したが、事実は事実として、
記録しておこう、これも、我々の山の歴史だ。逆に、忘れ去ってはいけない、
あまりにも大きい代償ではあったが、反省すべきを反省するにも、
記憶に新しいうちに、書き残すべきだと思ったから、今、書いている。
置き忘れた40mザイルを回収するため、きわどい5m滝を下りる。
往路のルートはヌメっていて、結構微妙だ。T橋クンにシュリンゲを出して
もらって、Mr.Dashが先に下りた。しかし、T橋クンにここを
フリーで下りてもらうにはリスクがある。もう少し高巻きして、テラスの
あるところをトラバースしたほうが安全か。しかし、これも今思うと
甘かった。
T橋クンは、そこを忠実に降りる。下からホールドポイントを指示。
あと10cmでテラスに足が届く、微妙! Mr.Dashが彼の身体に
近づいて、フォローしようとした瞬間、彼の身体は垂直に落下していった。
高さ2.5mから3m。水深50cm程度の水の流れにそのまま転落した。
水中に巾50cmほどの丸い岩があった。頭が一瞬、真っ白になる。
「大丈夫か!」時刻10:35の悲劇だった。

T橋クンはすぐに立てなかった。ザックを背負っていたので背骨は
保護されたが、左腰をしたたかに打ちつけたようだ。
頭部は、ヘルメットで保護されていた。流血はない。
意識はしっかりしている。
やっとの思いで流れから引き出すと、ただ事ではない表情。
30m滝でのほうからも、我々の異常に気が付いた。緊張感が襲って来る。
置き忘れたザイルが、今になって直下に見えた。くそっ!
T橋クンはしばらく息もできないほどの痛みに耐えていたが、
自力歩行ができない。Mr.Dashは30m滝にいる3人に
合図を送り、非常事態を宣言、退却を指示した。
3人が戻る間、T橋クンはMr.Dashが出したお茶を一気に
飲み干した。顔がこわばっている。
「そのまま一歩も動くな。3人をまず安全に滝から下ろす!」
Mr.Dashは、再び5m滝を登り、慎重に3人のサポート。
ここで二次災害を起こしてはならない。
例の5m滝は、今度は30mザイルを使って、3人を下ろしたあと、
上部の頼りない岩角にザイルを回し、Mr.Dashがダブルで
懸垂下降。かなり緊張したが成功。
なんとかT橋クンのもとに5人が集結したのは、12:30。
この時間、かかりすぎた。
T橋クンの容体は回復しない。とにかくメンバーの空腹もひどいので、
これから予想されるハードな下山に備え、まずは昼食。
12:50、ヘリを呼ぶ事態スレスレだが、岳人の責任として、
できる限りの自力下山を試みよう。右肩を抱えれば、なんとか
歩けることもわかった。覚悟の下山を開始する。

いきなり、スラブだ。I島さんが肩を貸し、Mr.Dashがザイルを
少しずつ出して2人の男の体重を支える。ビレイは取るには
取ったが、直径5cmほどのダケカンバ。アテにはできない。
無事クリア。次に、往路ショルダーした1.5m丸岩。
忘れた40mザイルを、ここで回収。少しハング気味のところ、
ともちゃんのビレイでMr.Dashが肩を抱くようにT橋クンを
支えようとしたその時、二度目の悲劇が起きた。
ザイルが急に伸びて、二人の身体が一瞬、宙に舞ったのだ。
T橋クンの身体が覆いかぶさってくる。なすすべもなくMr.Dashの
右半身が岩に叩きつけられた。右ひじに焼けた鉄を当てられたような痛み!
反射的に飛び起きて、T橋クンの無事を確かめる。
こちらの腕は上がらない。もう一人の自分が「いよいよ、だめか」と叫ぶ。
もう一人の自分が小滝の下に足を運ばせ、腕を流れに当てて冷やす。
ものすごい痛みが走ったが、指先が動く。グー・パーを繰り返す。
肩を回す。そして最後にこわごわ、ひじを曲げる。痛っ!しかし動く。
この痛みで、頭がなぜかスーッとして、冷静を取り戻せた。
I島さんが、さすがに不安そうに「ヘリ、呼びますか?」と聞いてくる。
「いや、大丈夫。こんな難所はこの先、ない。行くぞ!」
皆を安心させよう、無理に笑顔を作ったが、笑顔になっていたかどうか。